http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20070513/1179060253
 今ごろになって「稲生物怪録」が「ぶっかい」か「もののけ」かでこの辺で議論になっている。別にこんなことで熱くなったり慌てたりする必要はないので、ちゃんと議論すればよろしい。
 さて、『国書総目録』には「ぶっかいろく」とあるが、確かに『国書』は、毎ページに間違いがあると言われているから、これを信用できないとするのも一つの立場である。田中貴子『鏡花と怪異』240pに「物怪」が「もののけ」と読めないことはすでに森正人の指摘がある、とあるのだが、ここに注も、森論文のありかも示されていない。巻末の参考文献表にもない。これは困る。読者に、国文学論文データベースかCiniiで検索しろと言うのか。恐らく熊本大学国語国文学』に載っているものだろうが、これは中古・中世の「物怪」についてのものだから、近世には適用できない。従って当面は、「いのうもののけろく」「ぶっかいろく」両論併記でよかろう。
 しかし例によって、田中さんの本はあとがきがおもしろい。他の研究者の悪口がどんどん出てくる。「たとえば、ある有島武郎の研究者は『波瀾万丈 中世・戦国を生きた女たち』(清流出版、二〇〇五)というのをはじめ多くの古典エッセイを公にしているが、これらはまったく古典研究の成果を無視した内容であり読むにたえないものだった」とある。これは石丸晶子・東京経済大学名誉教授(1935年生)で、略歴・著作一覧は以下のとおり。
http://www.tku.ac.jp/~koho/kiyou/contents/hans/122/12204.pdf
万葉の女たち男たち 講談社, 1986.4 (のち朝日文庫
式子内親王伝−−面影びとは法然 朝日新聞社, 1989.12 (同)
歴史に咲いた女たち−−源氏の花平家の花 広済堂出版, 1991.12
法然の手紙−−愛といたわりの言葉(編訳)人文書院, 1991.6
歴史に咲いた女たち 平安の花 広済堂出版, 1992.6
歴史に咲いた女たち 飛鳥の花奈良の花 広済堂出版, 1993.7
お手紙からみる法然さま−そのお人がら 浄土宗出版編 浄土宗、1995.10
こだわりの大和路−−花と恋の万葉集 祥伝社, 1996.10 (ノン・ポシェット・ビジュアル)
蜻蛉日記 現代語訳 朝日新聞社, 1997.6
有島武郎ー−作家作品研究 明治書院, 2003.4
百花繚乱江戸を生きた女たち 清流出版, 2004.12
波瀾万丈中世・戦国を生きた女たち 清流出版, 2005.1

 なるほどユニークな人だ。その後、「ある比較文学研究者の書いた『泉鏡花』という新書を読んだが、まったく近代文学研究の文献に言及していないものであり我が目を疑った。いくら研究の視点が違うからとはいえ、鏡花を十年も読んだ、と称する研究者であれば、先行研究を無視することはできないと思うのだが、この研究者は「ものすごく自信がある」か、あるいは「ものすごく鈍感」かのどちらかだろう。小心者の私にはとてもまねできない」とある。これはもちろん佐伯順子ちくま新書のことである。ね、私だけがいじめているわけじゃないんですよ。でも佐伯さんは昔っからそうですからね。
 視点が違うということでいえば、比較文学者たる佐伯さんが、鏡花へのドイツ文学やギリシャ文学の影響に触れていないのははなはだ遺憾で、田中もこれにはなぜか触れていない。「高野聖」がアプレイウスの「黄金のろば」の影響を受けていることは周知のことだし、鏡花はハウプトマンの「沈鐘」の翻訳までしている。鏡花の妖怪といえば、人はすぐ江戸趣味がどうの、日本の化け物がどうのというが、実は西洋ダネがけっこう大きいと私は思っていて、だから脇明子によるユング派分析が有効になるのだ。もちろんそれは、もともとドイツ・ロマン派から出たユング「心理学」が、ドイツを中心とした物語学でしかないから、いったん抽出したものを元のものに当てはめているに過ぎないのだが、もし私が鏡花について書くなら、西洋文学の影響下にあるものを、日本ダネだと言いたがる従来の研究を問うものになるだろうが、まあそんなのは、20枚程度のエッセイで済む話だ。
 あと鏡花が佐々木喜善に冷たかったという話も出てくるが、恐らく田中は参照していない山田野理夫『柳田國男の光と影−−佐々木喜善物語』では、文学青年の佐々木は鏡花に心酔していて、初めて鏡花を訪ねた時は歓待してくれたことが書いてある。田中は、鏡花が自然主義に圧迫されていたという通説に従っているが、これは先ごろ私が「リアリズムの擁護」で疑問を呈しておいた。しかもその当時の自然主義の親玉は、柳田國男の旧友・田山花袋なのであってみれば、鏡花としては、柳田に頼っている佐々木に対し(柳田に対しても)複雑な感情を持たざるを得ないし、柳田はあくまで「学」として妖怪をやっていたのだから、必ずしも佐々木がどうこうということではない気もするし、佐々木というのは世渡り下手な人だし、鏡花もあまりうまい方ではないから、単に意思疎通がうまく行かなかっただけだろう。
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 そればかりとは限らないのです山崎行太郎先生。島田雅彦が法政大教授になった時は公募で、私も出して落とされましたが、その時、中込重明という法政出身の36くらいの優れた落語・講談研究者も出して落とされたのです。最初から学部長の川村湊が島田に決めていた偽公募だったと、複数の情報源があります。中込氏はものすごく悔しがり、その後、脳腫瘍を患って38歳で亡くなりました。その死の前後に著書が二冊出て、優れたものでした。私は『落語の種あかし』の書評を書き、発病してから中込氏と結婚した方から手紙をいただいて、公募事件について知ったのです。
 ですから、中込氏の怨霊になりかわって、私は法政大と島田と川村湊に嫌味を言い続けたいのです。人寄せパンダよろしく作家を教授などに任用することは、こうした優秀な学究を排除することにもなっているという好例です。
小谷野敦)