露伴と伝書鳩

 塩谷賛の『幸田露伴』を読んでいる。塩谷は「しおたに」と読み、本名土橋利彦、露伴の助手を務め、幸田文全集を編纂、四十過ぎて失明し、五年かけてこの大著を完成させ、読売文学賞を受賞した。1977年没。筆名であるから、漢字学者の塩谷(しおのや)温とは関係ない。
 それで、露伴の「露團々」に、鳩を使って恋文を送る場面があり、それが刊行当時「楼門五三桐」以来の趣向だと評されたことが書いてある。私は露伴のよい読者ではなく、長いものは『いさなとり』しか読んでいない。『天うつ浪』は岩波文庫版を買ったのだが、谷崎先生があまりに貶すので読まずにいる。
 ほか、失明しているためもあって、危うい記述が散見される。たとえば集まりに来た人物で「末包」というのがいるが誰だか分からない、明治文学書目をみると「末包八百吉」というのがいて明治二十年に逍遥の序文をつけた本を出しているが、この人かどうか分からない、とある。末包八百吉は宮崎湖処子であり、この本は「日本情交之変遷」である。『明治文学全集』に入っている。『幸田露伴』の刊行は明治文学全集以前だが、しかるべき人に尋ねれば分かっただろう。
 あと露伴作に「北利奇之助」というのが出てくるが、この名は典拠があるが思い出せないとある。これは北利喜之助、「江戸生艶気樺焼」以後、近世文藝に出る半可通の名である。
 せっかくの本格評伝なのだから、誰かがこういうところに注釈をつけて再刊すべきだろう。
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 今朝の朝日新聞に内田ジュの護憲論が載っていたが、あまりにお粗末なので呆れた。ジュ曰く、改憲派のロジックに従うなら、日本はアメリカとも戦いアメリカに核爆弾を打ち込める普通の国になるべきで、彼らは、九条があるから世界から侮られるというが、アメリカの属国だから侮られるのだ、という。
 論理というより事実として違っている。第一に、なぜアメリカと戦わねばならないのか。英国はアメリカと戦う気でいるか? 地政学には仮想敵国というものがあって、日本なら北朝鮮、ロシヤ、シナである。仮想敵国でないものとなんで戦う覚悟をせねばならんのか。そして内田は勝手に、改憲論者はアメリカと戦う覚悟はないだろうなどと言う。大国であればどこだって軍事同盟というものを結んでいるのだ。
 それに、世界から侮られるなどというのが、改憲が必要な理由ではない。現に矢作俊彦から、現状では自衛隊は軍事行動をとれない、あなたは間違っていると言われているのに、全然反省していない。北朝鮮有事があっても自衛隊は米軍を守って戦えないのである。埒があかん。
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 『中央公論』の岡崎武志の文章も何だか変だった。『夢を与える』の表紙を、編集者は綿矢りさ本人にしたかっただろう、と言い、そんなことできるはずない! というなら、と、学研の「現代日本の文学」50巻の箱の表紙が曽野綾子になっているのを提示している。これは知らなかったので有益な情報だったが、俵万智『サラダ記念日』は俵の写真で表紙を飾っているし、そんな古いものを持ち出さなくてもいいと思うのだが、小説と短歌では違うということだろうか。
 それにこの学研のシリーズ、ほかのものも作者の写真で表紙を飾っていると思うのだが、ご承知の通り、日本の図書館は箱やカヴァーを棄ててしまうという書誌学的に致命的な誤りを犯しているから、確認のためには古書店へ行くしかない。そして岡崎は、「曽野綾子河野多恵子倉橋由美子集」なのに曽野単独の写真にするには、河野と倉橋をどう説得したのだろうと書いているが、このシリーズには他にも一冊複数のはあるが、そちらは表紙を二分割、四分割していたのだろうか。もしそうなら、曽野の特別扱いということになるのだが。 (小谷野敦