夫婦別れ

 以前住んでいたマンションで、ある室の人についてある人が「夫婦別れしたらしいんですよ」と言ったことがある。「離婚」と違って、ある物哀しさが漂う言葉だと思った。

「物理学者としての声価は高かったが、虚偽で非人間的な大学の組織に、寅彦の繊細な神経は傷つき、師夏目漱石の死や、相次ぐ家庭の不幸に見舞われて、暗鬱な四十代を「空漠な広野の果てを見るやう」な心境で迎えていたのである」(山田一郎『寺田寅彦覚書』岩波書店)。この本は最近復刊されたが、名著である。芸術選奨新人賞受賞も納得がいく。寅彦、別役実安岡章太郎の親戚関係も、この本で分かる。

 『新潮日本文学アルバム 吉田健一』(1995)の解説を、柳瀬尚紀が書いている。柳瀬は、有名な女性作家の文章というのをまず引く。「この数年、知的でエスタブリッシュメントな読者を対象としている(つもりの)女性雑誌が、こぞって」「目の高さ」「真の藝術」と断片的な引用で、柳瀬はこの「エスタブリッシュメントな」という奇妙な形容詞を槍玉にあげている。恐らくこれは、林真理子白洲正子を褒める文章だろうが、白洲正子を褒めることがある奇妙な流行であったのと同じように、林真理子をバカにすることも、また奇妙な流行だった。そして吉田健一を褒めることも、流行ではないにせよ、ある種の人々の振る舞いである。このシリーズには、田山花袋はない。どう考えたって、日本近代文学における重要性は花袋のほうが吉田より上だというのに。
 吉田健一が何を書いたか。英文学の翻訳と評論だけで、特段、これがすごいというものはない。それなら、やはり英文学者の中野好夫のほうが、読みやすい翻訳や『蘆花徳冨健次郎』のような長編評伝をものしている。吉田健一は、ただ、吉田茂の息子で、子供の頃から英国で暮らしたとか、晩年、奇妙な文章からなる随筆を書いたとかで虚名が高いのみであって、『英国の文学』だの『シェイクスピア』だの、大した本ではない。白洲正子を褒めることと、吉田健一を褒めることとは、よく似ている。
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 京都地裁で、渡辺武達週刊新潮に勝訴。武達はビデ倫の広報ビデオを授業で流し、AVの一場面が流れて学生の顰蹙をかったと書かれて名誉毀損で提訴。まあ問題は、「気持ち悪かったです」と学生が取材に答えたとしても、裁判で証言はしないということだ。取材源の秘匿は認められたのではなかったか・・・?
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 「左翼のウソ」がばれたから「ネット右翼」が出てきた、と掛谷氏は言う。その通りだが、右翼佐藤優のウソはいつばれるのだろう。『神皇正統記』に学べと言いながら北朝天皇を戴いていることには頬かむり、愛国心や日の丸、君が代は「真の右の理論からいえば」法制化すべきでないと言いつつ、天皇の法制化には疑問をはさまないダブルスタンダードぶり。大日本帝国憲法以前に天皇の存在が法で規定されていなかったことも知らないのかね。盛んに大川周明を云々しつつ北一輝の乱臣賊子論は無視。天皇制とマルクス主義は人権思想において背馳することも無視。島田雅彦によれば「最も民主的」である天皇は「生まれで人を差別してはいけませんね」などと言うのだろうか。
小谷野敦