http://1000ya.isis.ne.jp/1517.html
 松岡正剛は文章もへたである。下手なだけならいいが、日本語が間違っているから困る。年をとってどんどんひどくなっている気がする。四方田犬彦も、若いころは変な日本語が多かったが、新潮社あたりから出ると校正が直してくれるらしい。
白洲次郎はダンディきわまりない「風の男」だった。」
 −ダンディきわまりない?
「面影のまにまにいると言ったほうがいい。」
 ―波のまにまに、なら分かるが。
「白洲と悪口を叩きあった小林秀雄
 −叩くのは陰口
「稀代のダンディで聞きしにまさる洒落男だが」
 −聞きしにまさる、ってこういう風に使わない。
「文章はお世辞にもうまいとは言えないが」
 −それはあんたのことだ。
「一行ずつからびしびし伝わってきた。」
 −「ずつ」をこんなところに。
「けれども金目にモノを言わせていたのではなく」
 −金目のもの、と、金に糸目をつけず、と、金にものを言わせるがごっちゃになっている。
「金目に近寄る連中を」
 −金目って何だと思ってるのか。
「自身は金目なものをみごとに手離れさせていたことは」
 −手離れってなんですかー!
「好き嫌いが画然としていたのだ。人やモノについて、画然と好き嫌いを言えるだけ」
 −この「画然」の使い方。
「だからインチキな連中は一発で見破られてしまうのだ。」
 −インチキなのはあんたです。
「外遊する政治家や外務省の役人たちの相手国への慇懃無礼が嫌いだった。」
 −慇懃無礼は誰だって嫌いですがね…。
「よくよくわかったことは、白洲次郎はかなりの」
 −「よくよく考えてみると」などと使います。これはないです。
「いったいその正体が奈辺にあるのかは、わからないことも少なくない。」
 −文章としてなっていない。
「そこを初めて証したのは、やっぱり白洲正子の」
 −証した、って明らかにしたの意味でしょうか。
「白洲商店の大きな番傘に墨痕黒々と」
 −どうもよそでも使われているようだが、墨痕は淋漓である。
ル・マンなどのカーレースに駆って出た。」
 −「買って出る」のは喧嘩。馬を駆って…は出ません。
「こういうとき、いつも白洲のそばにいて、静かに英国式ダンディズムを提供し続けたのが、のちのストラッフォード伯爵の学友ロビン・ビングだった。」
 −ダンディズムを提供するって民放の番組じゃあるまいし。
「死ぬまで“車ディレッタント”として続いた。」
 −「ディレッタント」辞書引いてみましょうね。
「ともかくも英国仕込みの一から六くらいまでを、17歳からのケンブリッジの9年間でいっぱし身につけたわけである。」
 −どこをどう直せばいいんだこの日本語。いっぱし、って何?
「正子にも「おい、白洲次郎の嫁になれ、いい男だぞ」とさかんに暗示をかけた。」
 −それは「暗示」ではなく「明示」であります。
「海外をしこたま飛び歩くようになった。」
 −「しこたま」のこういう使い方は初めて見た。
「このとき早々に面識を得たのが、当時は駐英国特命全権大使吉田茂だった。」
 −「早々に」の意味が不明。
「それをいそいそと邪魔しにやってきたのが河上徹太郎小林秀雄だった。」
 −「いそいそ」って…。
「日本の外交感覚を一身に引き受けたようなところがある。」
 −「外交感覚を一身に引き受ける」って何でしょうか。
「日本の戦後史の幕開きがどうなっていたか、やはりわからないとも思える。」
 −「幕開き」?
伊勢谷友介が演じた白洲次郎には、俺がいなければ日本はどうなっていたかわからないという凛然たる陽気が満ちていた。」
 −陽気? 妖気?
「白洲からするとひどすぎた商工省を改組して、なんとかこれを「通産省」にデコンストラクションさせる手を打つことだった。」
 −脱構築されちゃったんですか、それはそれはご愁傷さまで…。
「ぼくも翌日の小学生新聞にその晴れがましい出来事の写真がルビ付きで大きく載っていたことを」
 −写真にルビがつくとは知りませんでした。
「別の記録では演説が日本語になったのは、アメリカ側が「日本のディグニティ(威厳)のために、日本語のほうがいいのではないか」という提案があったとしている。」
 −「アメリカ側から」としてください。
「日本の政治家と役人は八方美人にこだわりすぎて」
 −「八方美人」ってのはこだわるもんでしょうか。
「看護婦」
 −これは偉い。