テレヴィジョンは不滅か

 「今、検索されている言葉」を見ると、上位はたいていテレビ番組関係である。かつて映画が登場して演劇や見世物の地位を脅かし、テレビが登場して映画を斜陽産業と呼ばしめた。しかしどうも、インターネットは、新聞は脅かしているが、テレビは脅かしていないらしい。
 私の父は毎日寝転がって、朝から晩まで時代劇か「寅さん」か野球かサッカーを観ている。この映画おもしろいよ、とビデオを渡しても、進んで観ようとはしない。レンタルビデオ店へ行ったことがないという女性は多い。まあ、後ろのほうにああいうのがあるからかもしれないが。
 ウェブだネットだブログだと騒いでいる人がいて、ブログを書く人もミクシィの会員も増えてはいるが、これはいずれ頭打ちになるだろう。所詮はインテリおよび亜インテリのものでしかなく、大衆はそのうち飽きる。
 たとえばニュースで、どこそこ大学の助教授がセクハラでなんたら、というのが匿名報道されていると、私など名を知りたさに一所懸命検索するのだが、最近あまり出てこない。出てきてもガセである。あるいは誰それは実は××だ、といった情報も、ない。
 インテリは、自分が選んだ映画を観る、ということに利便を感じるが、大衆には選ぶことなど面倒なのである。ただ流れている番組を観ているほうが楽なのである。第一、友達との会話のネタだって、その最大の供給源はテレビだろう。
 後世の歴史家は、21世紀初頭、インターネットはテレビの影響力を超えることはなかった、と書くかもしれない。

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http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/dokusyokansoubun.html
ここに「阪大生でさえこれだ」と書いてあるが、ヨコタ村上のゼミ生というのは、学部学生ではなく、言語文化研究科の院生である。「阪大の院生でこれだ」とすべきであろう。
 くそう、飲酒運転に時効がなければ、「私はヨコタ村上孝之が泥酔して運転する車に乗って制止しませんでした」と自首して、奴を犯罪者にしてやれるのに。