井口時男を邀撃

 井口時男、1953年2月3日、新潟生まれ。東北大学文学部卒。
 1983年、中上健次論で群像新人賞受賞。
 1987年7月、最初の著作『物語論/破局論』を論創社から上梓。なお5月には東工大教授・川嶋至論創社から『文学の虚実』を上梓している。
 1990年4月、東工大教授江頭淳夫(江藤淳)が辞職し慶応大学法学部客員教授となる。
 同年12月、井口は東工大助教授となる。川嶋は江藤の世話で東工大に行ったとされる。
 2001年、川嶋至死去。66歳。
 2003年3月からの『新潮』の連載で井口は、川嶋の死を文藝雑誌が黙殺した、と論難。
 分かりやすいですね。

 井口は『危機と闘争』で、川嶋は文壇からほうむられたと書いているが、それが「事実」である根拠は示していない。単に川嶋が1979年以後、ほとんど書かなくなっていたからに過ぎないのではないかという疑問には答えてくれない。安岡章太郎を批判したために文壇からパージされた、とされてはいるが、安岡批判は1974年であり、その後も川嶋は『季刊藝術』等に書いており、それが79年からぱたりと書かなくなったのである。松原正が身をもって示しているように、パージされようとも、書けば小出版社からでも上梓することはできる。大学紀要にだって書くことはできる。
 井口は川嶋の仕事を評価した上で、今日では「事実」は、文藝評論家の手を借りなくても「文学」に異議申し立てをするようになったとして、柳美里裁判を例にあげている。しかし川嶋が第一にとりあげた安岡章太郎の『幕が下りてから』『月は東に』の例では、安岡における事実の歪曲を指摘し、人は真実を突きつけられればその痛みに耐えるが、「人が真に傷つくのは、『真実』によってではなく、むしろ虚偽のためである」としている。だが柳美里裁判は、事実を描かれたために訴えを起こしたものであり、井口の議論は既にここで齟齬を来している。
 井口はここで、モデル問題について考察している。もっとも、井口がモデル問題といっているのは、「宴のあと」のようにモデルが抗議してきたときに初めて起こる類のものだ。井口は、柳美里裁判の判決について「市民社会の成熟による文学の危機」という言葉を何度も使うのだが、「成熟」という言葉が果して適切だろうか。柳美里裁判はきわめて異例なケースである。また残念なことに井口は、諸外国でそういうモデル問題による訴訟が起きているかどうかを検証していない。実際、起きているらしいし。
 そして井口は、車谷長吉が周囲の人の誰かれ構わず事実暴露をするのは、「正義」のためであり、「市民社会」的な偽善への嫌悪からである、というのだが、合評会での井口はみごとなまでに市民社会的偽善を体現していたと私は思う。作品への批評がではなく、そこから逸脱して井口は偽善的である。「男と女の闘いでは、女に味方せよ」と言わんばかりなのである。それが現代の「市民=学者=知識人社会」の偽善の最たるものだろう。 井口は、車谷が自分自身を醜い「毒虫」として提示しているからそれができるのだ、と書いており、合評会でもそう言っている。では井口よ、初期の佐伯一麦はどうなのだ。答えてみよ。
 もっとも、どうも井口に対して松浦ほど腹がたたないのは、この人は頭が悪いのではないかと思えるからで、佐伯の例でも分かるとおり物事の整理ができず、せっかく『危機と闘争』で考えたことをすっかり忘れてしまうほどに頭がすかすかなのではないかと思うからである。