「悲望」批評総括

 文藝雑誌は毎月七日発売である、などということは多くの人は知らないだろう。『文学界』と『群像』に「悲望」評が出たので、所感(弁明?)を述べておきたい。それにしても、雑誌に何かが載っただけでいろいろ評してもらえるというのは、小説家というのはずいぶん甘やかされているんだな、と思った。ただ全体に対して何か言うのは時期尚早あるいは不要なので、気になった箇所だけ触れる。
 『文学界』の「新人小説月評」は、森孝雅と福嶋亮大。森は、甘んじて受けると言っておいた、小説になっていないという評。しかし、「もう少し時間をおいて、作品として差し出すことはできなかったのか。あるいは、どうしても今、これを書かねばならない事情があったのか」と結ばれているが、別にワインではないのだから時間をおけば小説になるというものではないと思う。小説になっていないとすれば、私に才能がないからに過ぎない。あれは十年くらい前に書いて、二年ほど前に抜本的手直しをしたものだ。事情は別にない。森孝雅というのは、調べてみたら16年も前に群像新人賞をとっているが、以後鳴かず飛ばずで、なんか最近また書き始めたようだが、単著はもちろんない。何をしていたのだろう。長期療養でもしていたなら仕方ないが。
 福嶋のほうは、概して褒めているような気がするのだが、ヒロインが「少し病的な潔癖症だった」と書いている。私は「極端な潔癖症」とは書いたが「病的」とは書いていない。もうひとつ、田中和生の連載がこれに触れている。しかし例によってフェミニズム批評なのであまり得るところはない。特に、人間関係が破綻に至った「原因は女性にあるかのように描かれる」とあるが、そうか? 実は私が『三田文学』に「倫理、恋、文学」を連載していた時、最後のころ担当が田中だった。もっとも表面的な担当でしかなかったからやりとりはまったくしていないが、一度田中はこの連載について総括すべきではあるまいか。
 『週刊読書人』の「文芸 8月」はおなじみの陣野俊史。「そもそも小谷野はこの小説を書く必要があったのだろうか」として、文中の藤井の「名をあげたい」という野心の箇所を引用して、「小谷野敦の名前ぐらい、もう誰でも知っている。・・・とすれば、この小説を書いた意味が分からない」。いや誰でも知ってはいないだろうが、なんか作者と主人公をまた平然と一緒にしているし、陣野は私が名をあげたくて小説を書いたと思っているのか? では蓮實重彦中村光夫もそうだったのか? ところがそのあとで陣野は「小谷野はたぶんこの文章を書かねばならなかったのだろうが」とあって、どうも前と整合していない。なんだかこの文章全体が、締め切りに追われて書いたようなところがあって、最後に、伊藤たかみ芥川賞受賞作をこの欄で扱わなかった、と言い「不明を恥じたいと思う」「すみません」と書いているのだが、芥川賞受賞作だから名作だとでもいうのだろうか。いったい文藝評論家の自律性はどこにあるのか。陣野さん、しっかりしてください。(ここで、陣野さん、今は作家のほうが大学教授になりやすいでしょう。だから小説家を目指すんです、と言ったらどんな顔をするだろうか。悲しい顔をするような気がする)

 (中略。活字化のため)

 『もてない男』以来、私はそういう女性を対象としてものを言ってきたから、それでしばしば齟齬が生じたのだと今改めて気づいた。「順応主義者」云々と書いたことなどを「ずいぶん失礼」と、松浦と井口が言っているが、学者として成功する者が往々にして順応主義者であることくらい、松浦が知らないはずはない。
 かつて『<男の恋>の文学史』を大越愛子に送ったとき、手紙が来て、「フェミニズムの一番弱い部分を突かれたと思った」と言いつつ「このことはご内聞に」と書いてあったのを、この機会にばらす。要するにその弱い部分は、いまだ解決がつかないままなのである。
 ところで今まで遠慮してきたのだが、松浦寿輝、詩でも評論でも小説でもたくさん賞を貰っているが、私はひとつとして面白いと思ったことがない。これは書いたことがあるが、『折口信夫論』なんか何を言っているのかさっぱり分からない。第二の日野啓三になるのだろうか。