大小

 四代目鶴屋南北の「大南北」は、孫の五代目南北を「孫太郎南北」というのに対するもので、「おおなんぼく」と読むようだ。
 明治大正期の市村座の座主で、遂に松竹に併呑された田村成義は「大田村」と呼ばれたが、これは息子の寿二郎が「小田村」だったから。ただしこれは「だいたむら」ではなく「おおたむら」「こたむら」だろう。
 仮に川端康成の弟か息子が作家だったとしても、「大川端」ではまるで小山内薫の小説のよう、おかしくて言えまい。今東光今日出海は兄弟で作家だが、これを「だいこん」「しょうこん」と言ったらおかしい。歌舞伎の屋号では中村雀右衛門が「京屋」だが、「大成駒」のように「大京」と言ったらなんだか観光会社のようだし、言えない。大岡信大岡玲は親子だが、「大大岡」「小大岡」だとやっぱりおかしい。それに大岡昇平もいるし。
 言えないものは言わないのである、とヴィトゲンシュタインは言った(嘘)。