「大根」の本義

 『週刊文春』で青木るえかが、大河ドラマを評していた。仲代達矢の演技がうまいとは思えない、というところから始まるのだが、同じことを北大のMさんも言っていた。仲代の演技は、仲代が稽古をしているようにしか見えないとか。まあ、いつも同じ演技、というようなことを青木は言っていたが、私はあまりそうは思わないな。古いが、メリル・ストリープが、いつもうっすらと涙を浮かべた同じ演技、と言われていて、それには同意したけれど。『ソフィーの選択』を途中で見るのをやめてしまったのも、そのせい。
 青木は、今年の大河ドラマの、いかにも劇的な演技が気に入らないらしいが、大河ドラマで小津とか平田オリザみたいな演技をされたらたまらんから、それはいいのである。あとガクトについて「演技は大根」として、女子高生が男役をやっているみたいだが、魅きつけられる、と言う。私は別にガクトが特に下手だとは思わない。歌手にしてはよくやっているし、独自のものがあって、よいと思う。
 しかし、どうやら青木は「大根」というのを、演技が下手、端的に言えば、台詞が下手という意味で使っているようだ。確かに『岩波国語辞典』にも「芸がへたな役者などをあざけって言う語」とあるが、これは間違いである。そこにも書いてあるが、大根は煮ても卸しても、食べて当たらないから、当たらない、という意味である。青木はガクトに「魅きつけられ」ているのだから、当たっているのであって、大根ではない。『日本国語大辞典』も似たような解だが、当たっていれば大根ではない、のが本義で、一般的には、歌舞伎見巧者の用語だから、上手ければ当たるので、そうなっただけである。ではどういうのが大根かというと、七代目菊五郎みたいのである。上手いんだか下手なんだか、どっちでもないと思うが、菊五郎が好きとかいう歌舞伎ファンを、私は知らない。女形をやると、まるで「オカマ」である。
 私は子供のころから演劇好きなので、実は高校一年の頃、作家になるか俳優になるか、悩んだことがある(二枚目俳優を目指したわけではないのでつまらん突っ込みは入れないように)。だから、「演技」というのは、誰でもある程度はできるものだと思っていたので、大学でちょっとした芝居をした時に(一年の時の文三劇場ではない)、演技ができない人というのがいるのを知って驚いた。せりふ、棒読みなのである。
 私の知る限り、今まで見た中でいちばん台詞が下手だったのは、自殺した岡田有希子で、ドラマの主役なのに、まったく演技になっていなかった。