「夏の思い出」&言論の無力

(活字化のため削除)    
−−−−−−−−−−−−−−−−
 こんど文庫本になった『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡集』に、千萬子さんが京都の住居の周囲に朝鮮学校韓国学校ができて困っているからぜひ新聞に書いてくれ、と言っているのがある。それで谷崎は新聞をせかして「京都を想ふ」を書いたのだが、どうも千萬子さんは、一般の人と同じように、新聞に書くと何か起こると思っていた節がある。私も昔、その類のことを言われたことがある。
 しかし言論は実に無力であって、『清貧の思想』がベストセラーになったからといって人々が清貧を目指したわけではないように、ベストセラーになろうが総合雑誌に出ようが話題になろうが、社会はそれでは動かないのである。大新聞がキャンペーンをする気にでもなれば動くくらいで、学者や評論家がまじめに何かを言ったって、世間はびくともしないのだ。大江健三郎村上春樹だって、社会を動かすことはできないだろう。本田由紀さんなどは、その辺がまだ分かっていなくて、『「ニート」って言うな!』の序文を見ると、この本を出せば世間が恐れ入って「ニート」って言わなくなるだろうと本気で思っていた節がある。だから「ため息」になるのである。         (猫猫先生