ピンとこない英文学の話

 北村紗衣の『批評の教室』に、ブルワー=リットンの『ポール・クリフォード』の「暗い嵐の夜だった」という書き出しが、英文学史上最悪の書き出しとして有名だ、と書いてある。ただ私にはピンと来なかった。

 鴻巣友季子の『謎とき『風と共に去りぬ』』には、アーノルド・ベネットという年長作家が、最近の若い作家は「キャラクター」が描けていない、と言ったのに対して、ヴァージニア・ウルフが評論「ベネット氏とブラウン夫人」という評論で反駁し、そのためにベネットが表舞台から消えてしまったという話が紹介されており、「ベネットも新進の優秀な女性作家を相手にしたのが不運だったということですね」(大意)と書いてある。

 ウルフの評論は『ヴァージニア・ウルフ著作集 7 評論』(みすず書房)に入っているので読んでみた。「ブラウン夫人」というのは、作家はブラウン夫人というキャラクターを描写するのに苦労するという話なのだが、英文学の世界では、キャラクターを描き出すというのが作家の重要な仕事だと考えられているらしく、ディケンズは、ミコーバーなどのキャラクター描写がうまいとされており、ドストエフスキーはそれを模倣してマルメラードフを描いたとか言われるのだが、筋ではなくキャラクターという発想が私にはピンと来ない。

 ウルフは、ベネットを、ゴールズワージーH・G・ウェルズと並べて旧世代の作家として否定し、D・H・ロレンスなどを新時代の作家として称揚するのだが、ベネットに打撃を与えるほどの重要な議論がなされているとは思えない。ピンと来ないのである。これらは、英文学という世界では有名な例なのだろうが、日本で一般読者に紹介するとピンと来ない例であろう。

 

教えられないことを教える大学

大学では、「学問」という「教えられること」を教えるところではあるが、一部、教えられないことも教えている。人文系の学科において、小説の書き方などを教えているところがあるが、小説の書き方は、基礎は教えられるがそれ以上はやはり才能である、ということは、まあたいていの人が分かっているからいいのだが、「批評」というのも、才能がなければ書けないのである。このへんは、教えている方はわりあい分かっているのだが、教わっている方は割合分かっていない。

 北村紗衣の『批評の教室』(ちくま新書)が売れているようだが、これは、大学の学部生向け、特に北村が教える武蔵大学の学部生が、批評もどきを書くための手引きであって、実際にこれを読んでも批評としては面白くない。そういうものを新書として出すべきか、ちょっと私には疑問がある。

 この本にも蓮實重彦の名前が出てくるのだが、私は蓮實の「大江健三郎論」などのテマティック批評は、特別な才能のある人にしか書けない「文藝」だと考えているし、蓮實はまさかこれを学問だと思っているわけじゃなかろうとも思う。しかしだんだんレベルを下げていくと、批評と学問の境界が曖昧になるところというのがある。私は『評論家入門』でその話はしたのだが、大学の文学の教師というのは、そこはタブーででもあるのか、話に乗ってこない。批評家と言われる人も、それは学問なのかそうでないのかという話には、乗ろうとしない。

岡田俊之輔氏に答える

早大准教授・英文学の岡田俊之輔氏(1963年生)が「絶對者を戴く文化、戴かぬ文化――諭吉、カーライル、獨歩、他 『WASEDA RILAS JOURNAL第9號早稻田大學總合人文科學研究センター、2021年10月)で私の『宗教に関心がなければいけないのか』に触れているのを知った。以下のとおり。

無論、エイハブの形而上學的反抗もまた「クリスト敎的良心」の然らしめる所に他ならず、寺田建比古の言ふとほり、「被造界の最後の壁さへも突破して、神の深く祕められた本質へと肉迫しようとする、かくも深く宗敎的衝迫にみちた作品」(三二)、それがこの一大長篇小說の內實である事に疑問の餘地は無い。ところが不思議な事に、小谷野敦は自著『宗敎に關心がなければいけないのか』の第四章「文學と宗敎」に、「私は、ギリシア悲劇や、ジェイン・オースティンバルザック、ゾラ、メルヴィルヘンリー・ジェイムズなど、さしてキリスト敎と關係ない文學は好きなのだが、」と書いてゐる(一〇七)。他については今は問はぬとしても、メルヴィルを「さしてキリスト敎と關係ない」とする少なくともこの一點だけは全く理解に苦しむ。別に「宗敎に關心がなければいけない」とは言はないけれど、一體メルヴィルの何處をどう讀めば、こんな的外れの評言が出て來るのだらう。もしやこの「メルヴィル」とやらは、『モウビー・ディック』や『ピエール』や『クラレル』の作者ハーマン・メルヴィルとは違ふ誰か別の人間なのか。さもなくば『モウビー・ディック』を少年少女向けのリトウルド版か何
かで讀み、專ら手に汗握る鯨捕りの冒險譚として愉しみでもしたか。呵々。

 と言う。まあ確かにその通りなのだが、私はメルヴィルドストエフスキーやジッドのように、キリスト教抜きでは理解できない作家としてではなく『モービィ・ディック』を読んだのである。私の『モウビィ・ディック』の読解は女性嫌悪的なものとしてであり、『八犬伝綺想』に記してある。

 なお岡田氏は、「共和政治」というのが西洋の「天賦人権説」と不可分だとこの論文の冒頭近くで書いているが、そもそも堯舜の「禅譲」というのは、世襲制を否定した共和制の理想を語ったものではないのだろうか。なのになぜ東洋では平然と天皇や皇帝の世襲制をやっていたのか、私はこの点かねて疑問に思っている。

小谷野敦) 

校閲の苦労と友達

私が大学院生だったころ苦労したことの一つが、英文論文やレジュメのネイティブチェックである。あれはどういうわけか世間から、「友達や知人にやってもらえ」という圧力がかかり、カネを出して業者にやってもらうというシステムが当時はなかった。だが私にはそうやすやすとネイティブの友人は見つからなかったし、むしろタダでやってもらうということがとにかくトラブルの種だった。しかし教授たちはどうしていたのだろう。カナダへ行っても苦労は続いた。何しろ寮に住んでいたからネイティブはいたが、専門が違うと、私がスタイナーの『悲劇の死』を援用しても、相手は「悲劇」がいい意味で使われているということが分からなかったりするし、ポンと渡して数日して返ってくるというわけにはいかず、対面でああだこうだとやる結果になった。それが、タダだから双方がイライラする結果になった。今の私だったら、カネは払うから頼むと言うところだが、なんかカネを払わせない雰囲気があった。

 英文チェックの苦労はある時期以降はなくなったが、今度は著書に校閲がつかないと間違いだらけになるということで苦労するようになった。「校閲ガール」とかのおかげで、世間では出版社に校閲部があると思っているが、私が聞いた範囲ではほぼ外注で、出版不況になってからとか、零細出版社ではそれを省くことが出てきて、悲しいことになった。大物作家が大手出版社から出したものでも間違いが多かったという例もあるから、全体に弱体化しているんだろうか。むろんそれだって、著者が時間をかけてじっくりやるとか、誰かに読んでもらうとかすればいいわけで、研究書などではそういうこともあるようだが、それは生活のための著書ではない。校閲を自分のカネで頼んだら儲けはなくなってしまう。

北村紗衣「批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く (ちくま新書) アマゾンレビュー

誰でも批評が書けるわけではない
星2つ 、2021/10/14

 174pまで読んだら「初心者向けの本」とあり、私はどう考えても初心者ではないので、読むのが間違いであったと気づいた。佐藤亜紀の『小説のストラテジー』に比べたら驚くほどつまらないが、それではしょうがない。また、特別な才能がない人向けとも書いてあるが、批評というのは特別な才能がなければ書けないもので、佐藤亜紀のように読者が書けるかどうかなど無視して進んだほうがいい本が書ける。
「精読」と言いつつ映画の話が多いが、映画はどう「精読」するのか、もうちょっと実例を含めて説明してほしかった。
 著者自身の作品へのコメントが面白くない。「アンソニークレオパトラ」や「ミッドサマー」についての部分など、「どこがオチ?」とか思ってしまう。渾身の作であるらしい「ごん狐」におけるうなぎの話もさほど面白くない。
 日本の作品が少なすぎる。シェイクスピアと英文学少し、あとは最近の映画ズラーってのは若い読者にはいいのかしれんが。なお「クローディアスの日記」におけるおかしな点は、榊敦子が論文に書いていたので先行研究をあげておくべきだったろう。「リア王」については、シェイクスピア以外の「リア王」はみなハッピーエンドだ、というのを書いておくべきだったろう。「アナと雪の女王」について「フェミニズム映画」と一言で済ますのはいけない。ちゃんと説明しなければ。
 ウィキペディアに代表者はいない(171p)とあるが、日本ではいないが他国ではいる。
いいところは、性欲に触れたところ、性欲が批評に及ぼす影響など。
売れているようで重畳です。 
 なお誰でもボクシングに興味があるわけではないので、題名になっている言葉も私は知らなかった。    

 

「暗夜行路」のヤギ

 私は志賀直哉が苦手なのだが、世間には志賀を私小説作家だと思っている人がいて、これは蓮實重彦のせいなのだが、そこから話を訂正しなければならないのも嫌である。むしろ『暗夜行路』が一番いやで、あれは最初の四分の一だけが私小説なだけである。

 ものすごい裕福な家の長男っぽくて男性中心的なのに、どういうわけか女の志賀好きというのもいるからタチが悪い。

 『暗夜行路』には、時任謙作が飼っているヤギに「ヤイ馬鹿」「馬鹿馬鹿」という場面があって、私はこれが理解できなくて困った。私はヤギを飼ったことはもちろんないが、犬や猫を飼っていたって、いきなり、何もしていない相手に「ヤイ馬鹿」ってことはないだろうし、その口調も分からない。鶴田欣也先生が口まねをしてくれたのでどういう口調か初めて分かったのだが、口調すら分からなかった。愛情表現だともいうのだが私には愛情表現として「馬鹿」というという感覚が分からない。エドウィン・マクレランには分かったのだろうか。

萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月

 一九九〇年前後、小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に連載されていた萩尾望都の、少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」を、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと、真意をはかりかねる気持ちで読んでいた。中川右介の『萩尾望都竹宮惠子』(幻冬舎新書)を読んだとき、これが、竹宮の『風と木の詩』への批判なのだということが初めて分かった。     
 萩尾と竹宮は、一九七〇年代はじめ、少女漫画界のニューウェーブの二人組として台頭してきた。竹宮の代表作が、少年愛を描いて衝撃を与えたとされる『風と木の誌』で、萩尾も初期は『トーマの心臓』など少年愛かと思われる題材を描いていたが、その後はSFなどに移行していき、竹宮は京都精華大学マンガ学部の教授から学長を務め、萩尾は朝日賞を受賞するなど成功を収めた。      
 二〇一六年に竹宮が自伝『少年の名はジルベール』を刊行し、漫画は描かないがストーリーは作るプロデューサー的な人物だった増山法恵と萩尾と三人で東京の大泉に暮らしていた時期のことを書いた。それは萩尾が出ていくことで終わったのだが、「大泉サロン」と呼ばれ、世間ではこれは少女漫画版「トキワ荘」であり、ここから少女漫画の「革命」が起きたのだと位置づけられ、朝ドラになると言われ、萩尾と竹宮の再会と対談を望む声が多く寄せられた。           
 だが、萩尾はそれらを固く断り、自ら、竹宮との「絶縁」の真相を語ったのがこの著作である。萩尾は、この事実は固く封印していたものだが、それらの声を封じるため、一度だけ解凍すると言っている。萩尾は、自分は竹宮や増山のように、少年愛には関心はなかったと言い、しかし彼らに合わせる形でか(そうは言っていないが)少年愛風の作品を描いたところが、ある時二人から、竹宮が暖めていた『風と木の詩』の盗作ではないかと問い詰められ、さらに手紙が来て、自分らに近づかないでほしいと言われたという。萩尾は以後、『風と木の詩』を含めて竹宮の作品を一切読まず、竹宮や増山の「
排他的独占領域」に触れないように用心してきたという。      
 萩尾の作品を年代順に読んでいけば誰でも、ある時期から描線が固くなったことに気づく。のびやかで丸っこい竹宮と似た描線が、ぎごちないものになってしまう。それはまったくこの呪縛のためだったのだろうかと驚きを覚える。 
 私の高校生から大学生の時代は、萩尾や竹宮、山岸涼子大島弓子らの「少女漫画家」が神のように崇められ始めた時代で、私は大学一年の学園祭で、萩尾が漫画化したコクトーの「恐るべき子供たち」を劇化して演出したが、これは同性愛者コクトーならではの作品で私にはよく分からなかった。それから今日まで、現代の知識人は少年愛や同性愛が分からなければダメだという同調圧力を私は感じてきた。中川の著書は、竹宮と萩尾が「革命」を起こしたと書いており、これも私には一つの圧力だった。              
 だから当事者のかたわれたる萩尾自身が、そんな革命は竹宮と増山が考えていただけだと言い、少年愛になど関心がなかった、と言うことは、私には長年の呪縛からの解放のように感じられた。   
 しかし萩尾は「残酷な神が支配する」について本書では何も言っていない。やはりあれは少年への大人によるレイプすら美化してしまった竹宮への批判だったのだろう。その点では、竹宮を祭り上げてきた漫画評論家たちが、改めて批判されなければならないだろう。竹宮の自伝出版を発端として、萩尾がこの件を明らかにしてくれたことは、漫画史のみならず、思想史的にすら重要なことだったと、私は感謝の念すら覚えるのである。

小谷野敦