ある種の侮ってはいけなさ

 

 

私が阪大へ行ったのは94年4月だが、宮川先生という50歳になったばかりの少し白髪の英語の先生がいた。阪大出身の英文学者であった。9月に、博士論文として提出する予定の『自然と詩心の運動 : ワーズワスとディラン・トマス』という著書をいただいた。何げなく読んで「えっ」と思った。面白いのである。正直言って、宮川先生はいかにも凡庸な感じがして、つまり侮っていたのだが、侮ってはいけないなあと思った。ちゃんと説明してあったし、覚えてはいないのだが、言うべきことは言ってあるという感じがした。

 ヨコタ村上などは、宮川さんを嫌っていたのか、「君あれ読んだ?」と言うから「読みましたよ」と言ったら「本の蟲だな」などと暴言を吐いた。こういうものの侮ってはいけなさというのを、ヨコタ村上などは知らずに生きていくのかもしれない。

 世間には、普通の学者が普通に書いたいい本というのがあるが、そのことは知っている学者は知っていて知らない学者というのがいる。阿部公彦の詩の本など読むと、かっこいい感じがして、詩が分かった気がする。そのことがもたらす侮りには注意しないといけない。

西洋彫刻と口なし

日本の巨大ヒーローは、アニメ・特撮を問わず口に、西洋彫刻型と口なし型があり、どちらとも違うウルトラマン型がある。西洋彫刻型というのは「勇者ライディーン」みたなもんだが、要するに人間の口をそのままデザインしたもので、最初は「ジャイアントロボ」あたりになろうか。「口なし」は「マジンガーZ」が最初だ。富野喜幸も「ダイターン3」では彫刻型だったが、「ガンダム」が口なしでヒットしてからはずっと口なしが主になっている。

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巨大ヒーローの口

 

 

 

学問の流行

 

 

1997年5月に、小森陽一, 紅野謙介, 高橋修 編『 メディア・表象・イデオロギー : 明治三十年代の文化研究 』(小沢書店)という日本近代文学の論文集が出て、話題になったことがある。ところが、なんで話題になったのか、内容が斬新だとか、優れた論文があるとかいうことではなく、当時流行しかけていた「カルチュラルスタディーズ」の論文集を、東大教授で文学研究の指導的立場にあった小森陽一らが出した、これがお手本だということで話題になったに過ぎなかった。実際私は一年前の96年3月に八王子セミナーハウスで開かれた漱石をめぐるワークショップに出て、小森が、これからカルスタをやると言っているのを聞いていた。

 この現象を批判したのが、林淑美の「展望 最近の近代文学研究におけるある種の傾向について--(ホモ・アカデミクス)の(イデオロギ-装置) 」(『日本近代文学』 1998-05)で、林は中野重治を専門とする研究者だったが、内容ではなく流行が専攻し、小森のようなボスが支配する状態を批判したのである。学界的には林は不遇だったが、私は当時阪大にいた出原隆俊先生の手をわずらわせてこれを入手したのを覚えている。

 まあ1980年代から「流行の学問」というのがあって、ニューアカだったりポスコロだったりカルスタだったり網野善彦だったりホモエロテイクスだったりして、最近では震災とか感染症がはやっていたりするが、学者の中には流行とは関係なく実証的な研究を地道にやっている人がいて、そっちのほうが偉いと私も思うのだが、マスメディアはどうしたって流行の学問のほうを好むものであるなと。

ウルトラマンとマグマ大使

ウルトラマンの成立については、はじめベムラーという、日活のガッパみたいな造形の、人間の味方をする怪獣を考え、それからレッドマンというゴツゴツしたヒーローを考え、それからウルトラマンになったとされている。

 しかし、ウルトラマンより早く放送が始まった「マグマ大使」を見ると、もともと手塚の原作があり、「ビッグX」もあって、人間に近い巨大ヒーローというアイディアは円谷にもあり、それとは違うものを考えたが、結局はマグマ大使寄りのものになったということかと思う。マグマ大使は当初、人間の顔を出す案もあったというが、それだと巨大感が出ないことは、シルバー仮面ジャイアントになる時の処理で逆に証明されている。

 だから、ベムラーとかレッドマンというのは、むしろ最初にマグマ大使的なアイディアがあって、それとは違う方向も考えてみた結果なんじゃないかなあ、という気がしている。

 

 

 

間宮林蔵・探検家一代―海峡発見と北方民族 (中公新書ラクレ) 高橋大輔    アマゾンレビュー

そんなに変かね?
星2つ 、2021/09/01
間宮林蔵については私も一書を著しているのだがこの本の参考文献にはない。読んでいくと、例のシーボルト事件について、林蔵がシーボルトからの手紙を開封せず幕府に届けたことを、著者は「意外な行動」と言い、なぜそんなことをしたのか、と追及していく。だが、当時は無届で外国人とやりとりしてはいけなかったから規定通り届け出ただけだと、著者が参照している赤羽栄一の本にも書いてあるので、謎ではないことを著者が謎がっている変な本になってしまっている。

乳母車・最後の女 石坂洋次郎傑作短編選 (講談社文芸文庫) アマゾンレビュー

軍人誣告罪などというものはない
星1つ 、2021/09/01
この一点は、作品よりも巻末年譜に対するものである。戦前の石坂が「若い人」で、不敬罪と軍人誣告罪で右翼から告訴されたと書いてあるが、私がくりかえし言って来たとおりこれは間違いで、右翼から出版法違反で告訴されただけ、だいたい「誣告」というのは偽りの告訴をすることで、「軍人誣告罪」などという罪はまったくこの世に存在しない。しかもこの本、表題になっている「乳母車」の初出も書いていない。

 

文学とは何か――現代批評理論への招待(下) (岩波文庫) イーグルトン」アマゾンレビュー


イーグルトンはポストモダンを批判しているのだぞ
星1つ 、2021/09/01
この一点は、文庫版への訳者大橋洋一のあとがきに対するものである。大橋は、文学理論の正しさを言い、これを否定するものを保守派守旧派と罵っているが、中で「ジャック・ラカンデリダを引用できない者は文学研究者と見なされないようになった」と書いている。しかしイーグルトンはポストモダンを批判しているし、ソーカル事件についてはあまり言いたくないがポモが過去の遺物となった時点でこんなことを言うのはおかしいだろう。現にその大橋が「新文学入門」なんて本しか単著を出せない翻訳業者ではないか。