凍雲篩雪

凍雲篩雪(85)歴史学者の放言

一、年末から、hulu というところで配信しているトルコの大河ドラマオスマン帝国外伝」を延々と観ている。最初は二週間無料の間だけ観るつもりだったのだが、面白いというよりは妙にやめられなくなって有料になってからも観ている。
 十六世紀はじめのオスマン帝国(昔はオスマン・トルコといったものだが)のスレイマン大帝の治世を、後宮(ハーレム)での女の争いを中心に描いたもので、主人公はおそらく、スレイマンの即位前後にクリミア半島から連れてこられたルテニア人のアレクサンドラで、皇帝に寵愛されてヒュッレムの名をもらう。だが皇帝にはムスタファという第一皇子を産んだマヒデブランという妃がいて、ことごとにヒュッレムと争いを起こす。ほかに母后とその侍女、スレイマンの寵臣で小姓頭、三十歳ほどで大宰相に抜擢され、スレイマンの妹のハティジェとの悲恋も乗り越えて結婚するイブラヒム、女官長のニギャール、宦官長のスンビュル、宮廷史家のマトラークチュなどのレギュラーがいる。
 このヒュッレム、美人といえば美人なのだが、とうてい善人とは言いがたく、側女の中で親友だったマリアが皇帝に召されたと知るや彼女に暴力を振るい、のち謝罪としてクロテンの襟巻を渡すがそれには毒が塗ってあり顔が焼けただれるというすごい展開で、日本なら史実の主人公が悪人でもそのへんは隠蔽したり脚色したりするのだが、主役でこれだけ性格悪く描くというのはトルコの不思議さかもしれない。
 私は、女官長のニギャールを演じるフィリス・アフメトという女優が好きで、ニギャールは善人で、ヒュッレムにいろいろ忠告したりするため好きで観ていたのだが、そのニギャールも最近ではヒュッレム派と思われてマヒデブランの侍女に頭から袋をかぶせられて、ヒュッレム方につくと殺すとか言われたり、意趣返しにその侍女を襲撃したりして実に恐ろしいドラマである。このヒュッレムは、それまで奴隷身分だった妃の地位を向上させた改革者で、西欧ではロクサリーナの名で知られているらしい。
 しかし後宮内の話に終始するのではなく、ハンガリーへ侵攻してヨラシュ二世と戦ったり、ヴェネチア大使が出てきたりして、歴史の勉強にもなるので観ている。
 どうもこういう歴史大河ドラマというのは、日本のものをまねして諸外国でも始めたらしい。日本では小説・ドラマともに、目ぼしいネタがみな使い尽くされているから、まだ堀り尽くされていない、知られていない外国の歴史がドラマで観られるのはいいことである。
 簑輪諒という新人作家の『うつろ屋軍師』(祥伝社)というデビュー作を読んだ。織田信長の宿老だった丹羽長秀が、羽柴秀吉政権下で勢力を失い、その子長重が小大名に落とされつつじわじわとはいあがり徳川時代にも丹羽家が生き延びたという話を、丹羽家の家老・江口正吉を主人公として描いたもので、面白くはあったが、結局今後の歴史小説は、このようにそれまでの歴史小説に描かれなかったマイナーな人物を探し出して描くしかないのか、と困った気分になった。これなら、将来的には史実を放り込めばAIにも歴史小説が書けるということになってしまうだろう。しかし簑輪の『くせものの譜』(学研)という、御宿勘兵衛を描いた連作を読んだら、なんでこれで直木賞を受賞しないのかというほどの傑作で、この作家なら歴史小説の未来を切り開いてくれるのではないかとすら思ったのであった。
 ところで私はかねて、大河ドラマでも歴史小説でも学習歴史まんがでも、歴史を学ぶとば口になればいいと言っているが、歴史学者や高学歴層には、そういう考え方をバカにする傾向がある。百田尚樹の『日本国紀』をめぐるさして意味のない論争が起きて、日本史学者の呉座勇一が、百田に影響を与えたとされた井沢元彦の「逆説の日本史』に触れて、「作家のヨタ話」などと言いだしてしまったのもその一環だろう(言論プラットフォーム・アゴラ 『日本国紀』問題を考える―歴史学歴史小説のあいだ① 一月十七日)。しかし「作家」といっても、司馬遼太郎吉村昭のように、史料をよく読みこんでいる作家はいるわけだし、かつて三田村鳶魚が『大衆文芸評判記』(一九三三)で時代作家の考証のずさんさを論難して以後、吉川英治海音寺潮五郎、特に後者は、史料をよく読み歴史の勉強をするようになって、海音寺は大岡昇平に難癖をつけられて見事に論駁したこともあるので、そう「クソ味噌一緒」にされては困る。第一、井沢の原点は先ごろ没した梅原猛の『水底の歌』で、呉座はその梅原を初代所長・顧問としていた国際日本文化研究センター助教である。梅原に関しては、せめて『水底の歌』の間違いだけは認めてほしかったと私は思っている。梅原は歴史学からも国文学からも批判されつつ、一般読者やマスコミに人気があり、文化勲章まで受章した。学士院や藝術院に入れられなかったのは、これらアカデミーの見識だろう(ただ学士院の選び方がいいかどうか、私は疑問である)。
 呉座は井沢が歴史学者を批判した文章に反論している。井沢は、山本勘助の実在について歴史学者は否定的だったが、史料が出るとてのひらを返したように実在説になると論難しており、史料が出たら修正するのは当たり前だと呉座は言っている。これは呉座が正しいが、別に学者であっても筋の通らない議論をする者はいる。
 「作家」といえば、世間では売れる作家のことばかり考えるようだ。学術論文などは当然原稿料は出ないし、硬い学術書も売れるはずはなく、世間は作家のヨタ話ばかり読む、とひがむが、在野の作家の側では、学者は大学から給料をもらって売れる売れない関係なくやれるからいいよな、となる。しかし世間には売れない作家もいるし、定職につけずにいる学者もいる。以前、鈴木貞美が酒の席で社会学者・筒井清忠を内容には触れずに論難していたら、脇にいた女子大の図書館に勤める書誌学者が「作家だからいい加減なこと書いてるんじゃないの」と言い、鈴木が「康隆じゃなくて清忠」と訂正したことがある(実名を出したのは変名にすると誰だか詮索されるだけだからである)。こういう放言はやや迂闊な学者の世界にはあることであるが、呉座にはくれぐれもそういう十把一絡げな物言いはせず、是々非々で学問をやっていってほしい。
二、今回の芥川賞は、候補作に奇妙なものが多かった。受賞した上田岳弘や候補の高山羽根子は「SF」のようだし、鴻池瑠衣も未来的な現代を描いているようだった。しかしSFの手法を純文学に用いるというのは、筒井康隆が成功したくらいで、そのほかはただわけの分からないものが多い。ただしもっぱらSF好きの評論家などは高山などを評価しているが、世間では賛否両論である。もし今後の純文学界がこの方向へ行くのだとしたら、私はついていけないが、同時に純文学は本当に「現代音楽」の道をたどることになるのではないか、という気もする。

凍雲篩雪(84)

 

 

一、小澤英実さんから、訳書であるロクサーヌ・ゲイの『むずかしい女たち』(河出書房新社)という短編集を送ってもらって読んでいた。すると「完璧」という語が出てくるのにひっかかった。perfect の訳だろうが、「彼女は完璧な女の子だった」のように、アメリカ人はこのおおげさな言葉をよく使う。もっとも日本でも最近はある連続テレビドラマの「神回」とか「神対応」とか、おおげさな言い回しははやっている。文藝評論家まで「完璧な作品」などと言うが、小説作品に「完璧」などということはありえない。まあ言葉というのは変化するものだからやいやい言うこともないだろうが、英文を訳すときは、完璧は「すばらしい」程度にしたほうがいいのじゃないかと思った。
 その昔、バート・ランカスター主演で映画化されたジョン・チーヴァーの「泳ぐ人」は、私は英語で読んだのだが邦訳がないらしいので、機会があったら訳したいものだと思っていたら、村上春樹に訳されてしまった。といっても、一編だけ訳しても雑誌などに載せるには古い小説だから機縁がないし、村上はチーヴァーのほかの短編も訳したので、私にはそれほどチーヴァーに入れ込むつもりはないから、仕方がない。
 翻訳したいというより、誰か訳してくれないかと思っているのが、メアリー・マッカーシー出世作ブルックス・ブラザースのシャツを着た男」(一九四二)という短編である。これはニューディール時代、シカゴを通って西部へ向かう汽車のコンパートメントで二人きりになった男と女の話で、いずれも中産階級、男には妻と二人の子供がおり、女は二十三か四歳で、これから再婚するところ、という設定。男は当時話題だったヴィンセント・シーアンの『パーソナル・ヒストリー』(一九三五)を読んでおり、男女は会話を交わすようになるが、それがいかにも知的スノッブ風で、女のほうは左翼で、大統領選では社会党のノーマン・トマスに投票すると言う。意気投合した二人は個室内で酒を飲み、酔ってセックスしてしまう。この小説は一九九〇年にテレビドラマ「ウィメン・アンド・メン 誘惑」という全三話のうちの一つとして映像化されており、メラニー・グリフィスが女のほうを演じていたのだが、当時すでに三十三歳で、あまり美しくも見えなかった。
 男の姓はブリーンとなっているが、女のほうは分からない。二人は別れて女はニューヨークへ帰り、ブリーンと何度か密会するが、婚約を破棄したことは男には言わなかった。そのうち男の気持ちが冷えていき、女の父親が死んだとき、男は弔電を送ってきた。女はそれを破いて捨てた。誰かに見られたら大変だと思ったからである。
 マッカーシーは当時夫だったエドマンド・ウィルソンに勧められてこれを書いたというが、衝撃をもって受け止められたというのはこれが実体験に基づくと思われたからか、単に地位のある父親を持つ中産階級若い女の性行動を描いたからか、よくわからない。日本ではマッカーシーの紹介がどうもおかしくて、名作『グループ』は昔の小笠原豊樹訳で十分とはいえるのだが今では品切れのままで、そこへ政治的教条主義が強くてあまりよくない『アメリカの鳥』がすでに翻訳があるのに二〇〇九年に新訳で出たりして、私は書評でその選択を批判したものだが、「ブルックス・ブラザースを着た男」が入っている短編集も訳してほしいものだ。
二、二〇一八年の大河ドラマ西郷どん」は、歴史をいたるところで歪曲し、戦争の好きな西郷を美化して、西郷の敵に回った人間はやはり事実と異なる描き方をして悪人に見せかけるひどいドラマだった。被害者となったのは井伊直弼徳川慶喜大久保利通らである。信長や秀吉の時代と違い、近代日本に直結しているだけにタチが悪い。「翔ぶが如く」(一九九〇)の時は、西郷と大久保二人主役だったから、こんなにひどくはない、いやむしろこれは大河ドラマではいいほうに属する。私も西郷美化に抵抗する新書を書いたが、売れなかったし、概して西郷美化の方向の本のほうが売れたのは憂うべきことだ。
 さて、暇つぶしに一九七四年の大河ドラマ勝海舟」の総集編を観たのだが、脚本といいキャスティングといい、今よりずっと良質に感じられた。とはいえ、佐々木譲の『武揚伝』で、勝海舟の実像を知ってしまうと、観方も変わってくるが、おっと思ったのは、ペリー来航後、幕府が諸大名に意見を求めたところで、海舟が、これまで幕府独断でやってきたのが、意見を求めるようになった、と言い、それが大変革のように言う場面である。幕府は吉宗将軍時代に目安箱を設けて、広く庶民からも意見を求めているし、徳川時代を通じて、しかるべき建白書は上程されてきたのである。そのことは高槻泰郎『大坂堂島米市場』(講談社現代新書、二〇一八)に詳しく書かれている。これまで、林子平渡辺崋山高野長英の処罰によって、幕府は他からの意見を禁じているように思われてきた節があり、さまざま訂正されてはいるが、子平の場合は、すでに工藤平助が『赤蝦夷風説考』を幕府に建白しており、子平はその手続きを踏まずに『海国兵談』を印刷したことが忌諱に触れたのである。崋山と長英は、モリソン号事件での対応を批判したことが問題だったのである。
明治政府の宣伝のため、幕府の実態は悪く伝えられてき、最近その見直しが進んでいるが、『大阪堂島米市場』は、一八年の著作としてはピカ一と言うべきもので、こうした研究は以前から経済史の世界では行われており、著者はそれを紹介しただけだと言っているが、六年かけたというその書きぶりは、現代の先物取引デリバティブにも触れて面白く、なぜサントリー学芸賞をとらなかったかと不思議に思う。私はおかしな話だがこの本を読んで、東証株価指数とかTOPIXとかいうのがどういうものか初めて分かった。もっとも、著者の師匠の森平爽一郎によると、三十五歳までに勉強しないとデリバティブは理解できない、というジョークがあるというから、私はもう無理だ。
 実際に米に替えることができない架空取引が徳川時代に行われており、その終値を知らせるために普通の飛脚とは違う米飛脚が使われたとか、さらには手旗信号という、十九世紀のフランスで使われた腕木通信のようなものもあり(これは『モンテ・クリスト伯』に出てくる)、伝書鳩も使われたとか、読み応え十分で、しかも著者は「本書は通信業者養成のための本ではないので」詳しくは延べないが、などといったサラリとしたジョークも小気味いい。
 徳川時代の経済については、直木賞をとった佐藤雅美がかつて書いていたが、その佐藤の直木賞受賞作『恵比寿屋喜兵衛手控え』も、公事宿というものを私が知らなかったせいもあり、大変面白かった。もし『応仁の乱』ではなく『大阪堂島米市場』がベストセラーになったとしたら、昨今の読者もなかなか捨てたものではない、と思ったであろう。

芋蛸なんきん

質問内容:「とかく女の好むもの 芝居 浄瑠璃 芋蛸南瓜」、という言葉は、検索すると西鶴のものとされていますが本当でしょうか、出典は何でしょうか。

回答:まず、「芋蛸南京」という言葉を複数の表記でインターネット検索したところ、
詳細は不明なものの、大きく分けて以下のような説が確認できました。

(1)井原西鶴浮世草子が出典というもの
  (とくに『世間胸算用』を出典とする説も複数あり)
(2)落語が出典というもの
(3)川柳が出典というもの

そこで、以下の通り、順に検証を行いましたが、
結論から申し上げますと、明確な出典は確認することができませんでした。

(1)井原西鶴
→「世間胸算用」が掲載されている『対訳西鶴全集 13』(井原 西鶴/著、明治書院、1975年、913.52イ)
 の巻末に、主要語句索引がありましたので、
 「女」「芝居」「浄瑠璃」「芋」「蛸」「南京」のすべての語句について確認してみましたが、
 該当する箇所はありませんでした。
 また、本文も全体を通して確認しましたが、やはり該当する箇所は見受けられませんでした。
 (念のため、別の出版社による他の複数の版も参照しましたが、やはり同様でした)
 なお、「世間胸算用」ではない作品が出典である可能性もあるかと思い、
 上記の明治書院版『対訳西鶴全集 18 総索引』でも各語句を検索しましたが、
 同じく該当するものはありませんでした。
 (第7巻「武道伝来記」、第11巻「本朝桜陰比事」、第12巻「日本永代蔵」の3冊は
 「芝居」または「浄瑠璃」の使用箇所があるようでしたが、貸出中等のため確認ができませんでした。
 ただし「蛸・鮹」という項目でこれらの巻は拾われていないため、おそらく該当箇所ではないと思われます)

(2)落語説
→『米朝落語全集 第2巻』(桂 米朝/著、創元社、779.1カ)の「親子茶屋」のマクラの部分に、
 「女の好きなもんはというと、関西では昔から、芝居、浄瑠璃、芋、蛸、南京と、こない言う」(P.52)
 という一節があります。また、第五巻の「狸の賽」のマクラにも、同様の記述があります。
 しかし、この言い方から考えると、この落語が成立したときには
 すでに関西では「芝居、浄瑠璃?」の表現が普及していたと思われますので、
 落語が発祥という説は可能性が低そうです。

(3)川柳説
→杉並区立図書館の蔵書の範囲内で、川柳に関する複数の辞典・事典類を検索してみましたが、
 該当する項目は見受けられませんでした。

上記のように、(1)?(3)の説には確証が得られなかったので、
改めて国語辞書、ことわざ、故事成句の事典類を参照しましたところ、
次のことわざ辞典に、出典の表記がありました。
  
・『故事俗信ことわざ大辞典』(北村 孝一/監修、小学館、2012年、R813.4コ)
→P.136「芋」の項に、「芋章魚南京 女性の最も好む物。〔日本俚諺大全(1906?08)〕」とあります。
 しかし、『日本俚諺大全』は杉並区立図書館では所蔵しておりませんでしたので、
 出典を直接確認することはできませんでした。
『日本俚諺大全』は、『ことわざ研究資料集成 第7巻』(ことわざ研究会/編、大空社、1994年)
 という資料に収録されているようで、東京都内では足立区の図書館などで所蔵しています。
 お取り寄せをご希望の場合には、リクエストをお申し込みください。

(後記:『日本俚諺大全』は一切典拠などは書いてなかった)

凍雲篩雪

凍雲篩雪(83)勝手に怯えてろ

一、数か月前の本欄で、「鳥潟博士事件」というのに触れて、菊池寛の『結婚街道』のモデルになったと近松秋江が書いていた、としたが、これは別の事件のことで、昭和七年十月、免疫コクチゲンの発見者としてノーベル賞候補にも擬せられた鳥潟隆三(一八七七ー一九五二)の長女静子(二十五歳)が、京都帝大医学部卒の長岡浩(二十八歳)と一年の交際ののち華燭の典を挙げたが、その夜の長岡からかつて性病に罹っていたことを告白され、静子が結婚を破棄し、性病はもう治ってはいたが、それを隠していたことが問題だとして、父隆三と媒酌の京大教授・市川清の連名で結婚破棄の声明を出したことでマスコミの騒ぎになり、『サンデー毎日』十二月十一日号では「結婚解消問題 裁かるゝ男性」として七ページにわたる特集を組み、谷崎潤一郎武者小路実篤小林一三倉田百三、夏川静江、柳原白蓮長谷川時雨ら各界著名人のコメントが載っている。
 したがって、『結婚街道』は、大正年間の鳥潟右一の娘の夫が鈴弁殺しの犯人だというのとは関係ないのだが、短い期間に「鳥潟博士の令嬢事件」が二つもあったことになる。
 大したことのないような事件がこんな話題になったのは、その当時「男の貞操」が問題になっていたからで、それまで女の貞操ばかりが問題にされてきたが、男の放蕩はいいのか、というわけで、遊蕩文学の攻撃で筆頭にあげられた近松秋江ですら、男の貞操は問題にすべきだなどと書いていた。だが、当時の週刊誌や婦人雑誌の読者層はアッパーミドルクラスで、ごく一部の人にしか認識されていない問題だったことは確認すべきであろう。
 先般本欄で批判した中島一夫氏から早速の回答がブログにあったが、もともと同氏の論は精神分析を用いたもので、私は精神分析を科学として認めていないので、話はかみあわない。中島氏は江藤淳天皇制消滅の危機に「怯え」ていたと言うが、「勝手に怯えてろ」としか言いようがない。
二、ロシヤ文学ではトルストイドストエフスキーが二大巨頭扱いだが、私はドストが好きではないし、トルストイも三大長編は好みでなく、「クロイツェル・ソナタ」や「イワン・イリッチの死」のような中編がいいと思う。もっともドストエフスキーも、後期のロシヤ正教原理主義に傾いたものでない、『死の家の記録』などは好きだし、先日初めて『虐げられた人びと』を読んだら、ちょっと変だが面白かった。ここでわき役なのに、ドストがロリコンだといった説の根拠をなしたのが孤児ネリーなのだが、昔はもっと有名だったようで、太宰治川端康成に宛てた手紙にも出てくる。
 ほかにトゥルゲーネフも『煙』『その前夜』などが好きだが、これらは解説ではたいてい当時のロシヤにおける革新派の青年たちとの関連で説明されている。だが私はむしろ恋愛小説として、そこに描かれるヒロイン像に興味が深い。
 私はいったいしかし、ロシヤ文学では誰が好きなのだろうと考えて、ゴンチャロフだ、とへそ曲がりなことを思いついたのだが、私が大学生のころ、ニキータ・ミハルコフの「オブローモフの生涯より」を映画館で観て感銘を受け、原作の『オブローモフ』を岩波文庫の全三冊で読んだがこれも面白かった。主役は働く必要のない貴族の息子だが、そのだらしなさとか、女に振られてしまうさまが、大学生だった私自身を思わせたからだ。
 だがさすがに、ゴンチャロフの他の作品、といっても『フレガート・パルラダ』つまり『日本航海記』は別として、小説はその当時品切れだったし、長らく読むことはなかった。だが三十年ほどして、初期作『平凡物語』をやはり岩波文庫で読んだらこれも面白かった。主人公の青年アレクサンドルは、文学者になる志望を抱いて首都ペテルブルグの伯父ピョートルのもとに寄宿するのだが、伯父は、そんな志望はやめて役人になれと言う。アレクサンドルは聞く耳持たず、恋愛に熱をあげるが、ごたくさしたあげくに振られる。この女と言い合う場面が、二葉亭四迷の『浮雲』にそっくりなので、二葉亭は『平凡物語』を参考にしたな、とすぐ分かる。数年後、アレクサンドルは文学者などあきらめて平々凡々たる官吏の道を歩んでいる。しかし妙なことに、小説はそれをいいこととも悪いことともしていない。判断は読者任せなのであろうか。
 ところがここに、ゴンチャロフといえば『断崖』という大長編がある。しかも二葉亭は『浮雲』を書くのにこの作品を参考にした、と書いている。岩波文庫で全五冊の翻訳がある(なお私は、全五巻というのは文庫本の場合不適切で、五冊のほうがいいのではないかと思って五冊と書いている)。一九四九年から五二年にかけて井上満が訳したものだ。二〇〇九年の一月、古本で三万五千円の値段がついている全五冊本を私は購入したが、あまりに汚くて読む気にもならずにいたら、二〇一〇年十月から改版が復刊したから、参った。古本のほうは書庫のどこかにあるが、今回仕方ないから復刊のほうを第一巻から二冊目まで読んで、一向に話が進展しない退屈さに参った。ゴンチャロフはどうやらここでは「退屈」を描こうとしたようだが、ライスキーという青年をめぐって、田舎の人々の描写が延々と続いており、これであと三冊あるのだ。小林実という立教大学の院生だった人の「二葉亭四迷浮雲』の創作におけるゴンチャロフ『断崖』からの模倣とドブロリューボフオブローモフ主義とは何か』の解釈に関する検証の報告」(立教大学日本文学、一九九九)と「二葉亭四迷浮雲』創作の目的論的契機とモデル作品-グリボエードフ『知恵の悲しみ』及びゴンチャロフ『断崖』からの借用形態について-」(『日本近代文学』二〇〇一年)という論文がある。『智慧の悲しみ』も岩波文庫に小川亮作(一九一〇ー五一)の翻訳があってこれも読んだ。小川はペルシャに派遣された外交官で、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の岩波文庫版訳者でもあり、『智慧の悲しみ』のグリボエードフ(一七九五ー一八二六)と似た運命をたどって、若くして死んでいる。グリボエードフはデカブリストの共鳴者だったことから、懲罰的にペルシャ派遣の外交官とされ、トルコマンチャーイ条約を結ぶことに成功したが、この条約をペルシャにとって屈辱的だと感じたペルシャ人がジハードを起こして公使館を襲撃し、グリボエードフは三十一歳で死んだ。十六歳の妻が妊娠していたという。その死体がモスクワへ帰る途中、南へ向かうプーシキンに遭遇したという。
 しかし、二葉亭は本当にこのだだ長い『断崖』を読んだのだろうか。私には『浮雲』と関連するのは『平凡物語』のほうで、『断崖』は二葉亭が何かの見栄で書いただけではないかという気がする。
 だだ長いといえば、アーダルベルト・シュティフターの『晩夏』をいま読んでいるが、これはそう長いわけではないが、退屈なことで知られ、読み通した者にはペルシャの王冠を授けるなどと言われたようだが、今のところ、私はそう退屈はしていない。藤村宏の翻訳もいい。

汽笛一声

 中村光夫の戯曲に「汽笛一声」というのがある。割と長く、明治初年を描いたもので、読売文学賞をとっている。『かまくら春秋』12月号の森千春の連載「花から読み解く文学57」で中村光夫がとりあげられ、この戯曲に「ひとこえ」とルビが振ってあった。いや「鉄道唱歌」の歌いだしだから「いっせい」だろうと、かまくら春秋に疑問のメールを出したが、回答がなく、電話したら、森さんに訊いて、筑摩書房の初版にそう書いてあったという回答を得た。だがその初版にも、『展望』の初出にも「ひとこえ」なんてルビは確認できなかった。

 なお森千春という人は二人いて、ここでの森千春はてなキーワードにある、1948年生まれの元毎日新聞記者、「文学の花しおり」(毎日新聞社)の著者で、もう一人は1958年生まれ、東大比較の出身で読売新聞記者、

池嶋(旧林太郎)は西沢正史

 最近、アマゾンレビューで「池嶋」の名で私の著書に一点をつけて荒らしている者がいるが、これはかねてより迷惑行為を繰り返している元大学教授の西沢正史である。「池嶋」というのは、勉誠出版の現社長・池嶋洋次であり、以前名のっていた「林太郎」は、前社長の岡田林太郎である。十年以上前に勉誠出版から著書を出していた西沢は、もめて勉誠相手に訴訟をしていたらしい。「5ちゃんねる」で私に関して似たような悪口をくりかえし書き込んでいるのも西沢で、まことに迷惑なお爺さんである。

小谷野敦