「ノンフィクション」って何?

 大宅壮一メモリアルノンフィクション賞と河合隼雄学芸賞を受賞した小川さやかの『チョンキンマンションのボスは知っている』を読んだら、あまり面白くなくて途中でやめにした。小川はノンフィクション作家ではなくタンザニアが専門の文化人類学者で立命館大学教授。香港のアングラ経済の参与観察をエッセイにしたものだが、読む側としては、当時30代の日本人女性がそんなことに関わっているというところに関心の軸があったのではないかな、と思った。

 日本には大宅賞講談社ノンフィクション賞という二大ノンフィクション賞があるが、いずれも三、四年前にリニューアルし、大宅は「メモリアル」がつき、選考委員が廃止されて雑誌部門ができたがこれは三年で廃止された。講談社は「本田靖春記念」などとついた。だが中身は前と変わらない。そして、初期に比べて両賞とも面白くなくなっている。

 たとえば初期大宅賞に『わが久保田万太郎』が受賞しているが、今では文学者の伝記が受賞することはまずない。高山文彦の『火花』が北條民雄伝だが、そのへんが最後か。これも、高山が「ノンフィクション作家」だから受賞したという感じがする。佐野眞一の『旅する巨人』は宮本常一伝だが、これも佐野がノンフィクション作家だからじゃないかと思う。しかし伝記は、候補にはなっている。

 あと初期には山崎朋子の『サンダカン八番娼館』が大宅賞をとっているが、最近は両賞ともセックス関係は候補にすらならなくなっている。あと判型もあって、新書版が受賞することもあまりない。どちらも、範囲を狭めることに汲々としているばかり、で中身も薄くなるという感じがする。