大ボケ渡辺京二

 『週刊文春』に、今やわが宿敵となった渡辺京二の著者インタビューが載っていた。なんでも、今度は西洋文学に関する本らしいが、渡辺は、まず『ダルタニャン物語』全十巻を読むといい、と言い、西洋の小説は論理や人物描写がしっかりしている、と言う。ほう。続けて、日本の大長編は、『鬼平犯科帳』も『大菩薩峠』も筋が一貫していない、などと言い出す。おいおい、『鬼平犯科帳』は短編連作だろう。『大菩薩峠』なんて、特殊なものだし、だいたいインチキ日本文化論というのは、『源氏物語』と『雪国』をとりあげて、日本の小説はオープンエンディングだとか恣意的なことを言うものだが、この渡辺のは、あまりにもすぐばれる嘘。だいたい、なんで「ダルタニャン」なのか。普通は、『レ・ミゼラブル』とかだろう。昔は左翼だった渡辺も、今や『正論』にも執筆する保守文化人になり下がって、革命派のユゴーより、王に仕える三銃士を勧めるようになったってことか。しかし、『鬼平犯科帳』が大長編なら、シャーロック・ホームズ全巻も大長編ってことになるよなあ。まああと西洋にも『トリストラム・シャンディ』みたいなのはあるわけで。いやはや、老害極まれりだ。

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「読書人」で武藤康史が、池澤夏樹福永武彦著作権を継承していないと言ったので『文藝年鑑』を見てびっくりした、と書いていた。福永は再婚して洗礼を受けたから、著作権は軽井沢のキリスト教会が持っている。
 こないだ自費出版歴史小説を送ると言ってきた慶応卒55歳の男、文筆家の住所なら『文藝年鑑』に出ていると教えたら、「『大阪文藝年鑑』にはたどりついたが『文藝年鑑』にはたどりつかない(悲)」とかいうメールをよこした。頭弱いのか。
 (小谷野敦

郁達夫と大正文学―“自己表現”から“自己実現”の時代へ

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