その昔、中上健次が文藝時評をやって、初めて文藝雑誌を隅から隅まで読んで、あまりにレベルが低いので驚いたというのは有名な話である。柄谷との対談で、だが大江健三郎だけは違った、あれほど勉強している人はほかにいなかった、と言ったのだが、この「勉強」という言葉に引っかかっている人がいるかもしれない。作家は「勉強」などしなくてもいい、と思っている人がいそうだからだ。あるいはこの「勉強」を、文章修業とかの意味にとっている人もいるかもしれない。だがそれは間違いで、偉大な作家は東西を問わず、研究者でもある。ゲーテトーマス・マンヘンリー・ジェイムズ漱石、鴎外、谷崎、司馬遼太郎松本清張江戸川乱歩吉川英治、みな勉強家である。学識がある。だが、いったんデビューすると、勉強しなくなってしまう作家というのも多い。久米正雄などその最たるものである。 

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「遊星より愛をこめて」を論じると円谷プロから写真を借りられないと書いたが、例外がある。佐々木守『戦後ヒーローの肖像』(岩波書店、2003)で、これは十二話を論じていて、かつスペル星人ではないがウルトラマンの写真は載っている。しかし「セブン」の写真はない。『1/49計画』の、佐々木と実相寺昭雄の対談で、編集者は、あれに触れて円谷から何か言ってきませんでしたかと問うて、佐々木は、何もなかったねと答えている。もっとも佐々木は、「円谷プロを批判しようというのではない」と書いているし、当の脚本家であり、ウルトラ初期のメインライターである佐々木だからこそできたことと言えるだろう。

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池波正太郎の「市松小僧」ものの変遷は、
「市松小僧始末」『週刊朝日別冊』1961年秋風特別号
「市松小僧の女」池波の脚本で歌舞伎座で上演、1977 又五郎梅幸松緑 
鬼平犯科帳」で同心永井与五郎を鬼平に変えて放送 1993 小朝、藤山直美  
 最初の短篇は『にっぽん怪盗伝』所収である。

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西部邁の『保守と実存』という新刊を書店で立ち見したが、やたらと英語が出てきた。「プレスクリプション」とか「コンサーヴァティズム」とか、英単語の勉強の本かと思った。西部さんは英語が苦手で、米国へ留学して苦しんだというが、これはそのコンプレックスの現れでしかあるまい。昔から英語をいじるのが好きだったが、かなり悪化している。
 それと、アンデスの聖餐事件、つまり飛行機が墜落して生存者が死んだ人の肉を食べて生還した話だが、あとがきでこれについて、生存者の全員がその後深いノイローゼにかかったとある。このネタは中沢事件のころ、つまり初期にも書いていたが、裏がとれていない。本当なんだろうか。