通説への疑問 

 小説家というのは、昔は戯作者としてバカにされるアウトローだった、という。それが変わったのが、石原新太郎が芥川賞をとった昭和30年ころだという通説がある。
 しかしどうもこの説は胡散臭い。だいいち、「太陽の季節」や「太陽族映画」は良識派の顰蹙をかったもので、それで作家の地位が上がるというのはおかしい。
 むろん、昭和30年ころに社会構造の変化があったので、たまたま「太陽の季節」と重なったのだというなら、分かる。
 だが、実際は、もっと複雑だったのではないか。明治期にも、尊敬される作家というのはいたし、現代でも、軽蔑される作家というのはいる。前者は漱石や鴎外、露伴などで、後者はポルノ作家である。あるいは、村上龍山田詠美のように、登場した時は不良扱いされていたのが、がんばって書き続けて評価されて地位が上がるとか、大江健三郎だって、当初は不健全で性的なことを描く作家とされていたのが、ノーベル賞とか光とかのおかげで世間の見方が変わったとか、ある。谷崎などもデカダン悪魔派とされていたのが、『細雪』で大分イメージが変わったろう。葛西善蔵嘉村礒多太宰治檀一雄などは、デカダンで不健全とされた組であろう。
 鴎外、漱石は大正期に死んだが、その後、彼らとは違う風に「社会的名士」だったのが、菊池寛久米正雄山本有三といったあたりではなかったか。  

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余談であるが、鈴木貞美『戦後思想は日本を読みそこねてきた』(平凡社新書)を見てみた。すると「トンデモ本」であった。はじめの方で「日本では、国民国家形成以前に、世界のどこよりも早く、民衆の用いる言語の読み書きが発展し、都市の民衆文化が多彩に展開した」とある。
 そして「彼我の一七世紀後期の状態を比較してみるとよい。イギリスではシェークスピアのドラマが刊行されていたが、植字工によって英語の綴りさえ、まちまちだった。日本では…」と、西鶴近松芭蕉が礼賛されるのだが、いったい何でそれが植字工の英語の綴りと比べられるのだろう。日本では、かな遣いも送り仮名もまちまちだったではないか。それに、17世紀末の英国といえば、すでにデフォーやスウィフトの活躍の萌芽が見られるし、17世紀には市民による革命だって起きているのだが、私は失笑せざるをえなかった。
 そして最後のほうでは、チョムスキーの普遍文法が批判されていて、「言語とは一定の集団内の約束ごとである。それを抽象化すれば普遍文法なるものが得られるかもしれないが、そのような思考の操作によって得られるものが、人類の脳に生理的に組み込まれていると考えることは完全な倒錯である」。
 鈴木も田中克彦同様、チョムスキー系の言語理論をまったく理解していない。脳に言語が生のまま組み込まれているとでも思っているのか。私は、こんないい加減な人を相手にしてきたのかと、実はかなりあほらしくなっている。なお私は鈴木の研究会に登録されているので、取り消してもらうよう交渉するつもりである。