批判のための批判?

 田中貴子朝日新聞で、表章梅原猛に反論した遺著を書評して「批判のための批判ではなく」と書いているが、これは言葉の間違いで「単なる批判をこえて」とでもすべきだろう。批判というのは批判のためにするもので、まあこういう言葉づかいに、田中貴子が、批判されると素直に受け入れられない人であることが現れているね。

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http://ameblo.jp/motokichi26/entry-10618255320.html
 六年くらい前の文章で、この箇所はいいのだが、村上春樹については、セックス依存症の女が実際にいたのだろう、と今は思っている。

 (小谷野敦