リスト「死のチャルダッシュ」

http://www.youtube.com/watch?v=l4oNJMpdkJE

 いくら言っても世間でゴジラのテーマだと言う地球防衛軍のテーマが聴こえる。しかしリストって正当に評価されていない気がする。
 ところでこの曲は、音楽之友社から出ている『バルトーク物語』で知ったのだが、もうその先、苦しくてこの本が読み進められなかった。以下アマゾンレビューに書いたもの。
 伊東信宏の『バルトーク』が、伝記というより民俗音楽採取に関する研究だったので、伝記を読みたいと思って購入したのである。著者がバルトークの弟子だというので一抹の不安はあったが、想像以上にわけの分からない代物であった。訳者は羽仁協子・大熊進子となっているが、羽仁は羽仁五郎夫妻の娘。いきなりその羽仁によるお説教くさいまえがきがあり、「バッハがどんなに偉大でも、インタープリターの人格を通してしかその偉大さは聞くものに伝わってきません」。へ? インタープリターって何? 演奏家のこと? 演奏家の人格?
 本文は、ですます調である。確かに内容は伝記なのだが、いきなりバルトークの両親が「父さん」「母さん」などとあって、いったいこれは誰が何を語っているのか? 要するに子供向け伝記なのか? それにしても視点が定まらず、めまいがする。
 途中でやめて、大熊のあとがきを見ると、翻訳をしていると常にかたわらにバルトーク先生がいて話しかけていたとか、この本を得た時は著者はまだ存命だったが、私のハンガリー語は「未熟すぎるほど未熟でした」。日本語が未熟なのではないか…。しかも、自分が訳すのを羽仁先生は見守ってくれました、ってじゃあ共訳ではないではないか。「バルトークの伝記は何冊か出版されていますが、伝記ではない伝記はこれだけでしょう。訳しながらまるで映画を見るような気がしていました」って、そんなもの訳さないでほしい。だいたい大熊というのは東京学芸大学音楽科卒で、ハンガリー語の専門家じゃないし。もう訳者がそうなのか著者からそうなのか、音楽家の伝記なのか宗教書ないし教育書だか分からない。
 結局私は、別の伝記を探すことにした。

                                                                                  • -

湯浅篤志の『夢見る趣味の大正時代』を読み始めたら、谷崎潤一郎が「恐怖」に描いた汽車恐怖症に触れて、不安神経症というのだろうがそれだけではよく分からない、その「見立て」が正しいのだろうがこれは汽車という文明の産物への身体の過剰な反応を…などと書いてあった。
 よく分からないのは、湯浅が電車恐怖症に罹ったことがないからで、のち弟の谷崎精二もこれに罹り死ぬ苦しみをして、小田原にいる兄に会うのに急行に乗れず各駅停車で行ったともいうのだが、私もその経験者なので、まったくよく分かるのである。これは閉所恐怖症の一種なので、汽車がない時代にもそれに近いものはあったはずである。
 十川信介先生も『近代日本文学案内』で、今ではない病気だなどと書いて、あとで私に、君が電車恐怖症なのを忘れていたと言ってきたのだが、どうも困ったものだ。この病気(症状)に苦しんでいる人はたくさんいるのであり、それは別段汽車の新しさとは関係ないのである。精神の病を文明論的に語ろうとする人は多いが、これは誤りで、たとえば平安朝の「もののけに憑かれる」というのが精神の病であることはほぼ常識である。
 ほかは、よく調べられた本なので、こういう書き方は、現にその病気で苦しんでいる人がいることを思えば、「見立て」などという語はまったく不用意であって、惜しいことをしたと思うのである。まあそれだけに『谷崎伝』を私が書いて良かったとも思うのであるが。

                                                                                      • -

http://www5b.biglobe.ne.jp/~ty-libr/KuA-table-all-n.htm
先日さる編集者にこれを教えられたのだが、これは『マルタン・ゲールの帰還』の前半部分を用いたものだろう。16世紀フランスの実話だが、歴史家ナタリー・デイヴィスはこれをもとにして映画『マルタン・ゲールの帰還』に協力し、同名の著書を著した。その後どういうわけか平凡社ライブラリーに入る際、『帰ってきたマルタン・ゲール』というウルトラマンみたいな題名に改められている。
 ところがデイヴィスは、この話は繰り返し語られてきた、と言いつつ、本の中で、どのように語られてきたのかを書いていない。ただしそれは「ジャック・サマーズビー」というリメイク映画が出るに及び、それに触れて東大で行った講演が「贋物のリメイク‐マルタン・ゲールからサマーズビへ、そしてその先」として『思想』1997年7月号に訳出(近藤和彦)されており、ここでは、この事件は英国のシャーロット・スミスが1787年に『The Romance of Real Life』として出した中に入り、大デュマの著書でも触れられ、1941年に米国のジャネット・ルイスが『マルタン・ゲールの妻』として刊行した、と書いている。
 つまりこの「カアルとアンナ」は、1927年のものだから、ルイスより早い。恐らくネタ元はルイスと同じくデュマで、それを完全に換骨奪胎して、本物の夫が帰ってきた後の裁判などは一切ない。
 どうもこれを訳出した人はそれに気づいていないようだが、マイナーな作家らしいし、そう大したことでもないのかもしれない。
 まあ世界中探せばこれに関する論文くらいあるかもしれない。