「牽引」その後

 さて、木村荘太と伊藤野枝が恋愛事件を起こした翌年一月、野枝は長男辻一(まこと)を出産している。つまり木村とやりとりしていた時には妊娠三カ月くらいだったわけだ。この辻まことが、池内紀が『見知らぬオトカム』に描いた人物である。
 木村は『魔の宴』で、「蔑視して捨てる」などと言ったけれど、未練が残ってはいたと書いている。それに対して野枝の「動揺」には、木村がそう言った時吹き出しそうになった、とある。ところで気になるのは、この年11月の『青鞜』から、野上弥生子が『ソニヤ・コヴァレフスカヤの自伝』の連載をしていることで、これは1915年まで続いて中断し、大正13年に『ソーニャ・コヴァレフスカヤ‐自伝と追想』として岩波書店から刊行され、のち文庫になっている。その文庫版の1978年の序で野上は、この翻訳の編集担当は野枝だったと書いている。
 木村が入手したというのは、1895年に出たアンナ・シャーロッタ・レフラーの編纂した英訳に違いないのだが、果たしてこれは偶然なのだろうか。弥生子が同時期に同じ本を入手していたのだろうか。
 木村の自伝『魔の宴』にも、野枝との往復書簡は載っているが、木村は『生活』をなくしてしまったため、『大杉栄全集』の付録の伊藤野枝全集から採ったとして引用している。ところが、このソーニャ・コヴァレフスカヤ自伝に触れた二カ所が、いずれも省略されているのである。
 もしかすると、木村と野枝はこのあとまた会って、コヴァレフスカヤを野枝に貸したのではないだろうか。もっとも伊藤野枝については調べている人は多いので、どこかにそのことは書いてあるかもしれない。なお木村は「シスターズ、オブ、ラジェフスキイ」としているが、野枝の「動揺」には「ソーニャ・コヴァレフスカヤ自伝」となっている。