エミール・ギメはフランスの富豪で、明治初期に来日して日本を見て回り、浮世絵などを大量に買い込んでフランスでギメ美術館を作ったり、日本についての著述をした人で、その挿絵を友人のフレデリック・レガメーが描いている。
そのギメの『明治日本散策 東京-日光』(角川ソフィア文庫)を読んだら、赤穂事件について詳しい解説があったのだが、ギメはこれを、近松門左衛門の「碁盤太平記」をもとにして書いている。確かに事件を太平記の世界に移し、吉良を高師直、大石を大星由良助としたのは近松だが、当時知られていた「忠臣蔵」といえば、竹田出雲・並木千柳らの作で、ちょっと疑問が残ったから、調べようかと思ったが、別に事実関係に間違いはないし、手間がかかる割に大したことにはならないだろうと思ってやめにした。