「ダーモンとピチアス」(カーティス・バーンハート)中央公論2016年3月

 これは、日本では公開されていない映画で、テレビ放映もされたかどうか
疑わしい、一九六二年のMGM映画である。ジャケットを見て、「走れメロ
ス」? と思う人もいるかもしれないが、その通り、「走れメロス」なので
ある。
 紀元前五世紀ころのギリシアの伝説で、ピタゴラス派の学徒の間での友情
の厚さを示したものである。シチリア島シラクサイの独裁者ディオニシウ
ス(ディオニス)は、彼らを弾圧したので、ピチアスはこれへの謀叛を企ん
で、ディオニスに捕らえられ処刑されそうになる。ピチアスは、身の回りの
処分をし、家族に別れを告げるためにいったん帰郷させてくれと頼み、友人
のダモンが、その間人質になると申し出る。ディオニスはこれを許し、ピチ
アスは故郷へ帰り、決められた刻限までにと、シラクサイへの道をたどる。
走れピチアス、というわけだ。
 西洋では、これはわりあい知られた伝説である。十八世紀から十九世紀の、ゲーテと並ぶドイツの古典詩人フリードリヒ・シラーが、これを「人質」という物語詩にした。だがダモンとピチアスの役割が入れ替わり、「走れダモン」になった。これを、ドイツ文学者で詩人の小栗孝則ーこれは海軍大将・小栗孝三郎の長男であるーが、『新
編シラー詩抄』で、シラーの別版を使って「メロス」とし、解説で友人の名
を「セリヌンティウス」としたので、それを見て太宰は書いたというわけだ。
 主演はガイ・ウィリアムズで、日本で上映されなかったのが、「走れメロ
ス」だと分かってしまうからかどうかは分からない。当時すでに「走れメロ
ス」は教科書にも載っていた有名作品だった。「走れメロス」は英語などに
も訳されていて、西洋の知識人はこれが「ダモンとピチアス」だと知ってい
るはずだが、まあ日本人も、ラフカディオ・ハーンが英訳した日本の民話を
再度日本語にして読んでいるのだから、別におかしくないか。