What Maisie Knew

 ヘンリー・ジェイムズの「メイジーの知ったこと」(1896)を読んだ。長篇だが、ほかの長編『ある婦人の肖像』や『鳩の翼』ほど長くなくて、『ヘンリー・ジェイムズ作品集』では『ポイントンの蒐集品』『檻の中』とあわせて一冊になっている。これは川西進訳で、ところどころ日本語がおかしい。川西先生は教わった先生なので言いにくいのだが。
 もっともこれはジェイムズの後期への入り口なので、独特の叙述法がなされている。視点人物は幼いメイジーで、両親が離婚して「シャトル」状態で、あっちとこっちで暮らすはめになるのだが、両親にそれぞれ恋人ができて結婚し、ところが母の再婚相手サー・クラウドと、父の再婚相手が恋におちる、だが実の母はほかに新しい恋人ができ、サー・クラウドも。そしてメイジーの教育係らしい女性がサー・クラウドが好きになるとかいうややこしい状況が、メイジーの視点から描かれるのだが、語り手はメイジーではない。
 さらに、時間の経過がはっきり書かれておらず、どうもメイジーは当初三歳だったのが、最後には少なくとも十六歳にはなっているだろうと思われるが、ここではどの登場人物の年齢も明示されず、ただ誰より誰が年上とか、「若者」とか代名詞的に書かれるだけで、読者はさまざまな意味で宙づりにされて不安を覚える。
 これは最近映画化されて、「メイジーの瞳」の題で年明けに日本公開されるようだが、それゆえに、映画では原作の味わいは絶対に出ないわけ。 
 ただし作の完成度は、『鳩の翼』あたりには及ばず、ジェイムズ特有の曖昧表現の練習といったところか。
 私は読んでいて、藤野可織の「爪と眼」を思い出したのだが、要するに曖昧に描くことによって読者に不安を与えるといった技法は、19世紀の末にすでにジェイムズによって試みられていたわけで、いまさら前衛もポモもないねえと改めて思ったことであった。