長島寿義(ひさよし、1900年-1973年)という人のことを調べた。東京外国語学校仏語科卒、1923年に渡仏するが、戦時中、敵国人として抑留されたというのだが(速川和男、川村ハツエ、吉村侑久代『国際化した日本の短詩』中外日報社、2002)日本とフランスは戦争していないはずだが。
 戦後1948年、国際短歌運動を始め、49年ジャンヌ・グランジャン夫人と結婚し、フランス語訳短歌をやる。50年にパリ会会員の成宮芳三郎(1912-?)の尽力で東京支部を作り、53年独力で『国際短歌』を創刊、フランス側名誉会員にクロード・ファレール、日本では佐佐木信綱が就任、56年にフランス学士院賞を受賞。
 1971年に画家高田力蔵のパリでの展覧会を要請し、高田は川端康成と相談するが、川端は翌年死去、ついで長島も死ぬが、高田の個展は74年にパリで開かれた。
 グランジャン夫人というのはパリ生まれの詩人で、大戦中には対独抵抗運動をしていたというので、もしかしたら長島が抑留されたのはドイツによってかもしれない。