島比呂志(1918-2003)の『「らい予防法」と患者の人権』(社会評論社、1998)に、「宿命への挑戦」として、生田長江を論じた割と長い文章が収められている。自身がハンセン病患者であった島が、長江がハンセン病だったと知って調べたものである。ところがここで島は、長江がハンセン病だとはっきり書いたものがなく、みな遠慮しているのだろうとしている。だが同人仲間から、そのことを書いた文章を知っているが、誰の何だか思い出せない、島があげている中にはないものだという手紙が来たとある。
 もちろんそれは、谷崎潤一郎の「文壇昔ばなし」(1959)なのだろうが、島は遂にこれを発見できなかったらしい。
 ところが武田徹の『「隔離」という病』(講談社選書メチエ、1997、中公文庫2005)は、島のこれを参照しながら、長江がハンセン病であったかどうかはっきりしないと書いている。
 調査の素人である島は仕方ないとして、サントリー学芸賞を受賞して大学教授にもなった武田は、無能すぎるのではないか。武田は以前にも私は二度ほど批判したことがある。うち一つは、死刑執行人の苦悩を書いたものはこれまでなかったとした書評で、大塚公子の本が角川文庫になっているのに、それすらご存じなかったらしい。
 荒波力の長江伝には、もちろん谷崎の文章が参照されている。

                                                          • -

直井潔の「清流」(1943)に「看護婦さんの顔がよく見れる」ら抜き言葉を発見。 

                                                          • -

http://www.let.osaka-u.ac.jp/hibun/enter.htm
阪大比較文学研究室のサイト。四年近く放置。橋本順光、なんとかせえ。