トルコ風呂の発祥

 トルコ風呂というのは、今ソープランドと呼ばれるものについては、1951年の東京温泉が最初と言われているが、これも当初はただ女が垢すりをする、というものだった。
 『日本国語大辞典』を見ると、それとは違うアングルの「トルコ風呂」のようないわゆるサウナのことを、それ以前からトルコ風呂と称していた。
 松沢呉一は『エロスの原風景』で、既に戦前の上海に、卑猥な場所としてのトルコ風呂があったことを、文献で示して修正をしている。
 川端康成の「風鈴キングのアメリカ話」(1930)には、ちょっと微妙な「トルコ風呂」が出てくる。1906年講道館の山下義昭がセオドア・ルーズヴェルト大統領に柔道を教えたという話のあとで、

 しかし、フレシュマンといふトルコ風呂は、その前からちやんと、ニュウヨオク第四十二丁目第六街の街角にあつたんだ。逞しい日本青年が十五人ばかりも、そこに三助をしてゐた。三助の一人に佐竹といふ講道館四段があつた。柔道のマッサアジが、好色なアメリカ女を楽しませたかどうかは知らないがーートルコ風呂と柔道、この方がよつぽど、大統領と柔道よりもほんたうらしいぢやないか。(川端康成全集21巻)

 佐竹四段というのは、世界を放浪していたという佐竹信四郎(?-1936)のことだが、ここで既に、男女逆ながら、トルコ風呂というのは、エロティックなサーヴィスをする施設としてとらえられている。

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著書訂正:『現代文学論争』30p「梅田香子(一九四六- )」は「一九六四-」。失礼いたしました。
『名前とは何か』
28p「『公卿補任』は、五位以上の貴族」→「従三位以上の」「参議でない五位の貴族」→「三位の」
72p「宇多源氏」→「嵯峨源氏