秦恒平氏の直言

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 2006年のもの

* 四月十七日 つづき
* 理事会で二つ三つ発言し、例によって物議をかもした。かもしただけで要するにうやむやに押し流された一つが、「会長の選任」を、いますこし手順的にキチンとしてはどうかという、またその際に、「会員の意向」も斟酌ないし参考に出来る「方法は可能で必要」ではなかろうか、という具体的な提案であった。
* 今まさに今年の総会直前。これを一つの好機として、(会長改選は、今度の総会の一年後=来年になる。もし何らかの対応対策をするなら、今回の総会で審議しないと、来年の間際になってからでは、どんな提案も半ば無意味になる。)考えてみてはどうか、と。
 わたしには、この提言に、幾つか動機がある。
 梅原前会長の三期留任には問題がなかった。ご当人も理事会も、留任に一致して同意賛成し、改選しようという意向は誰からも出なかった。
 しかし、梅原氏から、井上ひさし現会長に交代の折は、理事会での予備選出があり、会員の理事選挙があり、理事会での会長推戴選挙があり、そして総会で承認されたのである。だがその経緯経過にあって、わたしにまでも事前運動、多数派工作的な「雑音」が聞こえてきた。文士仲間のペンクラブでもこういうことをやるのかと、実は、驚かなかったけれども、愉快ではなかった。
* それはまだわたしには無縁のこととしても、理事会での選挙で、二人に絞られた最終候補者から、一言の「言葉=所信」も聴かぬままただ投票するような運営になりかけたので、わたしは、たとえ形式的でもあれ候補に残った二氏(加賀乙彦氏、井上ひさし氏)の投票前発言が欲しいと求めた。急遽そのような経緯も経て、理事投票がなされたのである。こんな当たり前のことすらされない、つまりはシャンシャンというより、ただ成り行きの選挙方法なのである。
* 被選挙理事(三十人)は会員選挙に当選し決している。その後に、理事会推戴された会長が、さらに十人を追加理事として選任する決まりが、定款上に制度化されている。わたしはそれに全く異存ない。
 しかし、半歩、一歩をすすめて、会員が、投票用紙代わりに配布された名簿に三十人分マル印して理事選挙する際、三十人中の一人に限り「◎」して、自分はこの人が「会長」にふさわしいと思うという「意思表示をしていい」ことにしてはどうか。そうわたしは提案したのである。但し、会員の意向を世論調査風にともあれ聴き取るにとどめ、示唆または参考意見として必要な場合斟酌するにとどめて、直ちに定款を改め制度を新たにする必要はない、(直接選挙には途方もない害も無いわけではないから。)というのが、わたしの考えなのである。
 会員が、理事選任だけでなく、同じ投票方法の中で「会長に関しても」少なくも意思表示が出来ることは、ペンという組織の在りように、今一段会員が踏み込んで参加できるわけであり、決してわるい工夫ではないと思うが、いかがと。実に簡単に「◎」一つ加えて出来ることだ。
* これに対し、意外にも、井上ひさし会長が激しい拒絶反応を示し、「ノンセンス」だとまで極言した。何がノンセンスか、理由を彼は説得的に説明できなかった。
 「制度を変えよう」とわたしは言っているのではない。ごく簡単に出来る方法で、会員が、「自分たちの会長」について「意向を示す」、それが何で「ノンセンス」なのか。説明願いたい。
 井上会長は続けてこんな発言までした。驚いた。
 即ち、「選挙に事前の雑音」がとびかうのは「当たり前」で、「雑音のない選挙なんて世の中に例がありませんよ」と。けだし「世の大人の通念」をいわれたものか。しかし他でもない井上会長の弁に、わたしはのけぞるほど驚いた。書生論のようになるが、「雑音」を翻訳して、「ある種の不正な画策や選挙誘導」の意味にまで解釈すれば、日頃われわれが顔をしかめている「政治の世界」のそれらと一緒でも当たり前の意味になるし、最近も各国でなされている選挙妨害をまで包括的に容認するところへ拡大されてゆくではないか。とんでもない話だと、わたしは井上会長の発言をいっそ嗤ったのである。
 さらに井上氏は、こんな風にも言うのだった、そんなまわりくどいことを言うより、「秦さんがご自分でなさればいいので」と、二度三度も繰り返して。だが、氏の言う真意がわたしには皆目分からない。氏は、わたし=秦が、「ペン会長」職を狙っているとでも言いたかったのか。「多数派工作がしたいなら秦さんが自分で始めればいいんですよ」と。もしそういう意味なら、ま、これぐらい噴飯モノの邪推はない。わたしは、理事会や会員から千回求められても「そんなもの=会長」なんぞに成る気はない。また今が今わたしが誰かを推して、「雑音」をまきちらし事前運動に活躍する気も、全く無い。そんな真似はわたしの最も忌み嫌うことでしかない。
 わたしが望んでいるのは、大勢の会員諸氏が、むなしく高い会費をはらうだけでなく、せめて簡単な方法で出来る「一つの意思表示」ぐらい、ゆるされて当然ではないか、というに尽きている。