ショスタコーヴィチの証言

 中公文庫で、表記の本を読んだのである。ショスタコーヴィチが、没後海外で刊行するようにとソロモン・ヴォルコフに託したものとされ、水野忠夫が訳している。実はたいへん面白かったのである。ところが読了してアマゾンレビューを見たら、西岡昌紀氏が「偽造文書である」と書いていて、慌てて、千葉潤『ショスタコーヴィチ』を見たら確かにそう書いてある。ウィキペにはこの書物についての項目があって詳しい。偽造文書だと追及したローレル・ファイの本はアルファベータから邦訳が出ている。
 しかし、私はショスタコーヴィチの研究家ではないし、今後ショスタコーヴィチについて書く予定もないし、多分書かない。となると、偽造といっても、まるまる嘘なわけではないわけだし、一読者としては別にいいんではないか、という気がするのである。第一、これが出たせいかどうか、ショスタコーヴィチに関する日本語の本はこれらを含めて十冊くらいあって、そう何冊も読むほど私はショスタコーヴィチに興味があるわけではない。
 しかし何か釈然としないものがあるのであって、というのは、この本は、スターリン体制下、ないしそれ以後においてもショスタコーヴィチがどれほどひどい目に遭ったか、という本なのだが、ソ連が崩壊したからといって、ロシヤの独裁体制というのは大して変わっていないと私は思っている。つまり今でも、ロシヤに言論の自由があるとは思っていないのである。たとえば、あまりに皇帝をひどく描けば、「皇帝」スターリンが不愉快になったように、あまりにスターリンを悪く書けば、「皇帝」プーチンも不愉快になるだろう。
 たとえばこんな記事である。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101018/acd1010181307002-n1.htm
ロシア海軍省の不手際が明るみに出ることを嫌った旧ソ連政府が、偽情報を流したために虚説が流布した、と研究家は推論している。」
 帝政ロシヤはソ連の敵ではないのか? それにこれ、単に島田謹二がロシヤ将校名鑑を見て発見しただけで、ソ連政府に問い合わせなんかしていないと思うのだ。
 あるいは「森の歌」というオラトリオがあるが、歌詞がスターリン賛美だというので不当に低く見られているが、音楽はいいと思う。逆に、交響曲14番が不評であったと『証言』にはあるのだが、吉田秀和はこれを絶賛している。
 まあ、『静かなドン』が下らない作品だ、というのは事実なのだろうが、実は私は、ソルジェニーツィンというのがそんなに偉い作家かどうか、疑問なのである。鈴木宗男が、あのまま俺にやらせておけば北方領土は帰ってきた、とかいうのも、とても信じられないのである。つまり私は、ロシヤであろうがソ連であろうが、あの国の研究者とか関係者というのが、本当のことを言う連中だと思っていないのである。