(小谷野敦)
いや昨日は実に魔日であった。
朝起きて朝食も終わり、映画を観ようとしていたら、携帯からの電話が鳴った。出ると女で、か細い声で、
「あの…村上春樹の話をしたいんですけど」
「どちら様ですか」
「匿名じゃいけませんか」
「そりゃダメですよ」
「××です…。私のプライバシーにかかわることもあるので」
「村上春樹と何か関係があったんですか?」
「いえ、私じゃなくて知り合いなんですけど…」
という感じで始まったのだがまことにとりとめがなく、以下意味のあるところだけまとめると、
「あの、『1Q84』のことなんですけど、あんなにあちこちに暗号みたいに張り巡らされているのに、何でみんな気づかないんだろうって…山形浩生さんとか、内田樹さんとかにもメールしたんですけど、相手にしてもらえなくて、キチガイ扱いされて…。
「春樹の春って英訳するとスプリングですよね。その春について作中でいろいろ出てくるし、父親は千秋で、これはフォールですよね。それも……」
「落ちるとか?」
「ええ、落ちるとか滝とか」
「いや、名前の解釈はいいから、その、プライバシーにかかわるっていうのは?」
「いえ、名前って私小説では重要なことだと思ったんですけど」
「いや、そう一概には言えないでしょう。それに春樹って作者の名前じゃないですか」
「いえ、天吾って名前も、英訳すると、私は中国人って意味になるんです」
「は?」
「吾は、われ、ですよね。天は、スカイじゃなくて…」
「ヘブン?」
「ええ、それと、celestial っていうのがあって、大きな辞書で見ると、中国のって意味があるんです」
(確かに後で英和大辞典を見たらあったが…)
私も出来る限り対応したのだが、やっぱりキチガイなのである。それで埒が明かないので、電話を切ったのだが、また掛ってきて、
「すみません、あたし、予備校の先生とちょっと」
「つきあってるの?」
「いえいえ、そんな」
「ただの知り合い?」
「いえ」
「片思いしてるとか」
「いえ、片思いなんてもんじゃなくて…今その先生と電話で話して、ちょっとおかしくなっちゃって、あたし病気なんで、誰かに話さないといられないんです」
「……」
「『1Q84』ブック3の初めに、『副校長』ってのが出てきて、あまり聞かない名称だ、ってあるんです」
「そうですかね」
私は三巻は読んでいないのだが、この女、私を何だと思っているのだろう。
「これ、教頭のことですよね。いま日本中で、教頭を副校長に言い換えるようになっているんです。それでこれ、英訳するとvice principal で、別におかしくないんです。村上春樹の父親は教頭だったので、そういう日本古来の名称がなくなっていくことへの警鐘」ウンタラカンタラ。
かろうじて意味のあることとして言ったのはこれだけ。
あと御巣鷹山の坂本九はQと名乗っていたから外国でも通じるとか、言っていた。予備校の先生がもてもてなのは宗教と同じ構造だとか。
村上春樹というのは、つくづくキチガイ女をひきつけるものがあるのだと思い、もういっぺん電話を切って迷惑指定したが、まだ掛ってきていた。
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続いて、某出版社で絶版にされた本を40冊送って来たのでその代金を払いに郵便局へ行くが当然不快である。(いや自分で買い取るのではなくて、放っておくと断裁されてしまうから、手元にある程度保存用に購入するのである)
さらに、某新聞の記者と待ち合わせをしていたのだが、来ない。20分くらいして帰宅して、メールを打ったら電話があって、家族に病人が出て行けなかったとお詫び。
夕方になるとこないだの横山孝一氏から手紙と、論文集などが送られてきている。
まあ本人としては、危険だと思ったのだろう、職場の封筒を使っていて、自宅住所は書いてない。手紙のほうも何だか例のごとしで、平川先生の『アーサー・ウェイリー』の、チェンバレンの名声が地に落ちたというのはおかしい、というところだけは認めてくれたものの、『天皇制批判の常識』を送ったのだがこの人は自分が天皇制についてどう思うのか書いていない。だから本当は何を考えているのか分からない。返事を出そうかと下書きまでしたのだが、この様子では無意味だろうとやめにした。
一番人をバカにしていると思ったのは、平川先生に「天皇崇拝家」と言うから答えないので、「天皇を敬愛していますか」と訊いたら答えてくれるのではないでしょうか、などとある。本気で書いているのかおちょくってるのか。
レッテルを張ると一人歩きするとか、平川先生みたいなことを言うのだが、いったいレッテルって何? テクスト論者もレッテル? ポストモダンもレッテル? フェミニストもレッテル?