「やまうちようどう」の謎

 『竜馬伝』で、山内容堂を「やまうちようどう」と呼んでいる。これは『功名が辻』の時に、従来やまのうちと読まれてきたが、浅井茶々の手紙と『寛政重修諸家譜』に「やまうち」とあるからと訂正したものだ。
 しかし、それならいったいいつから「やまのうち」になったのかを確認しなければいけないのだ。もしかすると新井白石の時代以後「やまのうち」になったのかもしれず、むろん混在していた時期もあっただろう。仮に一豊が「やまうち」だったとして、幕末期にみなが「やまうち」と読んでいたら、明治以後「やまのうち」と言われたら、山内家で訂正したはずだと思うのだが。
(付記)その後情報が入り、明治以後、本家はやまうち、分家はやまのうちとしたという。これは面白い。松山には池内家というのがあって、高浜虚子が池内家の出身で、息子は池内友次郎だ。伊丹万作も池内だが、前者はいけのうち、後者はいけうちで、前者は家柄がいいという。山内と逆なわけだ。

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 橋本治の『巡礼』は、悪い予感がして読んでいなかったのだが、まあちょいと必要があって読んだ。これは一人の男の一代記なのだが、どこにも年次が出てこない。その分年齢やら、何年前やらはふんだんに出てくる。
 冒頭と最後の、ゴミ屋敷騒ぎと撤去は、2004年の出来事で、主人公の下山忠市は1932年生まれ。父富市は1963年に死んでいるが年齢は不詳。母すみは1910-95.忠市の妻徳下八千代は1938年生まれで、結婚は61年。息子秀俊が生まれるのが63年、死ぬのが68年。弟修次は1940年生、妻弘子は1943-83.その子らの輝義は70年生、望は73年生。
 八千代が出て行ったあと来た「二度目の妻」は、71年に来て73年に出て行った。
 それでまあ、悪い予感はやっぱり当たって、世間で騒ぐほどの傑作ではないよね。小説として下手な、評論家口調がもろに出ちゃっているところが多いし、小説の地の文が「ドラスティック」なんて言ってはいけないでしょ。それに、起きたのは子供の夭折と夫人が出て行ったことくらいで、本来もっと違う形で彼独自の鬱屈のゆえんを書きこまないと、ゴミ屋敷の主になる必然性がない。

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飯干恵子のあとで、同じ系列の深夜映画番組の司会をしていたのが、岡部まりである。これは確かゲストとの対談を映画のあとでやるのだが、「アレクサンダー大王」をやった時は品田雄吉がゲストで、最後にアレクサンダーが民衆に取り囲まれて「食べられて」しまう場面を上から撮るのだが、いなくなった役者はこっそり民衆の間にまぎれこんでいるはずで、品田が、「それを考えると…」と苦笑して、岡部が「笑いが止まらなくなると…」とやはり笑って、「品田さんでもそんな風に見るんですね」と言っていた。
 その後はご存じ、「探偵! ナイトスクープ」の秘書役である。私がこの番組を知ったのは、92年の秋、留学中に知り合った立命館の学生らを訪ねて、二週間京都に遊んだ時に教えられてからで、しかしそのころ東京ではやっていなかったが、94年に大阪へ行ってからは欠かさず見ていて、岡部さんは、美人ではないのに美人感があったから、すばらしい、と思って著書も二冊買ったりした。
 岡部さんはその時点で34歳になっていたわけだが、そのナイトスクープの正月特番で、レギュラーがみな和服を着て出ていたが、まりちゃん、初キッスは、と訊いたのは北野誠だったか、桂小枝が調子に乗って「初バッコンバッコンは」と訊いたから私は激怒し、上岡龍太郎も少々色をなして「お前ら岡部まりを何やと思うとるんや」と言ったことがあった。

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「翻訳家列伝」は三輪秀彦を入れ忘れた。
小谷野敦