川西政明の悪意

 川西政明『新・日本文壇史』一巻「漱石の死」は、谷崎‐佐藤の妻譲渡事件を扱っているが、巻末の参考文献に私の谷崎伝がない。代わりに野村尚吾の古い『伝記 谷崎潤一郎』があがっている。西原大輔くんの本もある。まあ考えれば瀬戸内寂聴の『つれなかりせばなかなかに』もないのだが、瀬戸内は白秋のほうで『ここ過ぎて』があがっている。
 これまでの川西の私に対する仕打ちを考えると、意図的なものだろう。『恋愛の昭和史』の書評で川西は、「なぜ自分にこの本の書評が回ってきたのだろう。『文士と姦通』を書いたからだろうか」(大意)などと、妙に冷淡なことを書き、『里見とん伝』の書評では、「全作品を読むのは当然のことだ」とか、むやみといちゃもんをつけてきた。前者は『昭和文学史』を書いたからだろう、と思ったものだ。
 はて、なんでこの人はこんなに私を憎むのだろう、と思っていたのだが、ふと、アマゾンで『文士と姦通』のレビューを書いていたのを思い出した。

評価が難しい本である。後のほうの、有島・志賀・藤村・漱石の話は、文学愛好者なら既知のことで、一般読者向けの啓蒙的意味しかない。逆に前のほうは、もっと詳しく書いて欲しいところがたくさんある。著者が妙に抽象的な議論を展開するのが不満である。もっと好奇心むきだしで書いて欲しかった。
また石坂洋次郎の『麦死なず』事件について書くべきだったろう。読者対象が絞りきれていないという印象を持った。

 点数は三点、2003年5月のものだから、川西はこれを読んで執念深く私を怨んでいるのかもしれない。それで『恋愛の昭和史』の時に、そのことを示すために、『文士と姦通』の書名などあげたのだろうが、まさか60過ぎの人がこの程度で怒るとは思わないから、今まで気づかなかったのである。
 まあ、それならそれで俺も受けて立つが、川西政明なんて二流の批評家が、『昭和文学史』だの、伊藤整瀬沼茂樹の後を受けるなんてのは、ちゃんちゃらおかしい。前者では金井美恵子を落とすなんてポカをやっているし、『日本文壇史』というのは、明治40年5月には、というクロノロジー形式で、資料を網羅して書いている。あれから後というのは、だから同じ形式でやったら膨大な量になってしまう。それで川西のも、伊藤とは全然違う、普通の「文学史」になっている。妻譲渡事件なんか、いくら書き込んだって私の谷崎伝に全部書いてあるのだから、新味なし。ていうかこの本、『恋愛の昭和史』と『谷崎潤一郎伝』でほぼ網羅された内容なのだよね。まあ川西も嫌だったろうが、第二巻になると白樺派になるんだろうから、どうやって里見伝を無視するのか、見ものだね。

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国会図書館OPACは、著者の生年を表記しないようにしているというのだが、これは同名異人がいる場合面倒である。しかも、著作に記してある生年まで記載しないのを「個人情報保護」などと言うのは、まるで意味が分からない。
それで国会図書館と午後メールでやりあったのだが、生年を表記するなと言ってきた著者がいるそうで、それは何人なのか、と訊いたところで相手は帰ってしまったらしいが、だいたい著書そのものに書いてある生年を表記するなと言うなんてどこのバカだ。紀伊国屋ウェブでもアマゾンでも、著書に生年が書いてあれば表記してある。
(付記)その後NDLより、再検討するとの回答を得た。
小谷野敦