和田アキ子の歌唱力

 もう20年くらい前か、公開歌番組で和田アキ子がリクエストを受けて「いとしのエリー」を歌ったことがあったのだが、あれはすばらしかった。元歌は嫌いなのだが、和田のはそれとは全然違っていて、もういっぺん聴きたいなあ。やっぱり和田アキ子は歌うまいんだよね。
 あと江利チエミもうまい。天才的。それを世間がちゃんと評価してあげなかったから、あんなかわいそうな最期を迎えてしまった。

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先に触れた「私生活まで詮索するのは邪道だろう」という、亀井勝一郎による平野謙島崎藤村』への当てこすりへの平野の反論は、岩波現代文庫『芸術と実生活』を見たら、『講座文学4』岩波、1954年1月)であることが分かった。
 これに先立ち、亀井研究家の山本直人氏より、それが「藤村と秋声」の題であることと、荒正人による平野援護が『日本読書新聞』1956年8月27日から9月24日まで五回「近代作家への照明」として載り、平野『現代作家論全集2 島崎藤村』(五月書房、1957)の「解題」として載っていることが分かり、これも確認した。
 内容については、あまりに亀井の言うのが無茶なので、触れる必要もあるまい。ニュークリティシズムや「第二芸術論」で、作者名を隠して詩や俳句を見させるという試みがあったが、私生活に触れずに論じるなどということは不可能である。どうしてもそうしたいなら、ビルマあたりの現代作家の作品を、伝記を調べないこと、という限定つきで論じさせるしかあるまい。

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必ず腹のたつことがあるから今は新聞もとっていないしテレビのニュースも観ないのだが、時おりは観る。するとやはり腹がたった。といっても煙草増税ではなくてJR東日本である。自殺が多いので防止のために青いライトを設置したとかいう。精神を落ちつける作用があるというのだが、精神を落ちつけるのは喫煙である。少なくとも喫煙者にとってはそうなのに、禁煙にして、精神を落ちつけることをできなくして、背中を押しているのはお前らだJR東日本。人殺し! しかもこのライト、外国で犯罪を減らす効果があったというが、犯罪が減る=精神が落ちつく、なのか? もしかしたら不安になって犯罪をやめているのかもしれんじゃあないか。
 あとコンビニへ行ったらうるさい。二種類くらいの放送ががんがん流れている。あんな中で仕事をしている店員の健康被害は、新幹線の喫煙車両を通り抜ける程度のものじゃないと思うぞ。
 だが、禁煙になって自殺者が増えているのではないか、なんて研究は、出来ないよね。そんなことしたら厚生労働省からにらまれて助成金削減されるからね。自殺幇助の厚生労働省。喫煙労働者の迫害に何も言えないで、労働省が厚生省に乗っ取られたみたいである。まあ、じゃあ労働省がちゃんと何かするかといえばしないわけだが…。「過労死」なんてものが厳然として存在する今日の日本で、何が健康への配慮で煙草増税か鳩山。

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 私は阿井渉介氏の「文章が下手」だと言っているのではない。こういうことを言うのは失礼だが、頭が悪い、知識が乏しい、と思っているのだ。『坊っちゃん』のモデルだと名乗った男がいたことも知らないと、バカにしているのだ。モデルの孫が大学で漱石論を講じるとか、おかしな空想も大概にしてほしい。夏目房之介はまごうことなき漱石の孫で大学教授だが、漱石論を講じてはいない、漫画を講じているのだ。
 『はいてなかった赤い靴』の後半に「未婚の母とかシングルマザーといった、どこか颯爽としたイメージでかよを思うのは、見当はずれもいいところなのです」とある。いったい誰が、未婚の母を颯爽としたイメージでなど考えるであろうか。シングルマザーのほうは、そういう愚かなイメージを抱いた馬鹿どもがいた時代もあったが、2007年にもなればそんな馬鹿はあまりいまい。
 『赤い靴』は社会主義で、『赤いろうそくと人魚』『赤とんぼ』は喪失のイメージがあるという。しかし鈴木三重吉が始めた童話雑誌は『赤い鳥』である。三重吉が社会主義者だったとでもいうのか。大正期の童話童謡が、戦後になって「暗い」として批判されたことは、児童文学史の常識である。もう、阿井氏はあまりに、ものを知らなすぎるのである。