阿井渉介氏に答える

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090715

これに対して、阿井渉介氏より「反論」があった。教えてくれる人があった。
http://sky.geocities.jp/akaikutsunokai/frame.html
私は自分が批判や反論をして無視されるのが不快なので、答えることにする。

>これを出典として、多くの追随出版物や像に付された解説、寄付募集の文などでは、渡米したことになってなっています。

 阿井氏著に紹介された静岡市の少女像にも、麻布十番のきみちゃん像にも、渡米していないとはっきり書いてある。
http://akaikutunokai.web.fc2.com/
 ここでも渡米していないと書いてある。

>他の例では養子として戸籍に入れられているそうです。

 米国に「戸籍」というものはない。「そうです」とは何か。菊地氏を批判しつつ、伝聞でそういうことを記すのはいかがなものか。

>道徳的な問題もさることながら、「そのように下司な想像力しかない輩が、童謡に手を出すな」という思いが強かったためでしょう。

 下司な想像力も何も、そう考えるのは世の中を知っていれば十分ありうることで、阿井氏著に感心しないのは、こうした戦後的純潔思想に染まりきっているところにある。童謡というのを何と思っているのか、童話童謡といっても中にはずいぶん残酷なものもあるし、相変わらず阿井氏は道徳的判断と事実の判断を混同している。

週刊朝日』の記事についてだが、週刊誌の中吊り広告や新聞広告から、小さな記事が除かれるのは当然のことで、なぜ阿井氏は自分の記事が大ごとであると考えるのか。また「こまかな食い違いはあるが『根幹に揺るぎはない』」は記者の文章ではなく菊地氏の返答ではないのか。

アメリカで発見したと称する宣教師親族へのインタビューは、稚拙なヤラセです。

ドキュメンタリーにおけるインタビューなるものは、本当に、初めて質問を行った時のことを撮影することなどほとんどない。再現映像である。ヤラセだと言うなら阿井氏は米国へ渡って、ヤラセを行った、親戚でも何でもない米国人を探し出さなければならないだろう。

 ところで、せっかく「阿井文瓶」氏と対話する機会が得られたので訊いておきたいことがある。『ウルトラマンタロウ』で、なぜ最後の三話だけ、副隊長が三谷昇に代わったのか、である。あれは実に不自然で、ウルトラシリーズのファンにとっては長年の謎なのである。副隊長交代の際のシナリオを書いたのは阿井氏である。隊長・名古屋章がずっと登場せず、副隊長・東野英心が指揮をとっていたのは、名古屋が忙しかったと見ればいいが、その上に最後から三話目での副隊長交代、しかもとても適任とは思えない三谷昇である。東野英心が怪我をしたなら、名古屋章が出ているのだから、名古屋が指揮をとればいいのであって、なんであと三回なのに三谷なぞ連れてきたのだ。

 (小谷野敦