スーザン・ソンタグについて

 『スーザン・ソンタグ最期の日々』とかそういう、息子によって書かれた本の書評が『週刊朝日』に載っていた。
 ソンタグといえば、1980年代には、美人のすごい批評家として崇拝されていたが、今思うと、何がそんなにすごかったのか。『隠喩としての病い』の教科書版を使って、福田眞人は名大の一年生に英語を教え、最後の授業の日にはパーティーをやって、日本人はこういう場で見知らぬ人と話をするのが苦手だから、そういう人と話すように指導した。私の弟がその授業に出ていたから、実家にはその時使った教科書版『隠喩としての病い』がある。
 しかし、初めて一読して、何ほどのことが書いてあるのやらと私は思った。これをまねして柄谷行人は「結核にはロマンティックなイメージがあった」としたが、あるいはガンはどうこういうイメージというのだが、一体その程度のことがどうしてあんなに凄い本のように言われたのか、読んだ当時からよく分からなかった。だから『エイズとその隠喩』は未だに読んでいない(もしかすると「陰喩」だったかもしれないが、興味がないからどうでもいい)。
 「反解釈」は確かに面白かったが、そこでソンタグが、解釈でないものとして挙げているアウエルバッハが、論理的にどう「解釈」でないのか、結局分からない。「官能美学」などと言われたって、恣意的に過ぎるし、それなら、伝記批評へ帰ったほうがましだ。
 「様式について」でソンタグは、今どき、様式対内容などという対立をひとつの思想として主張する者はいないだろうが、批評の実践においてはそれは依然として行われている、と言っている。当時、「内容と形式は切り離せない」式のことを言う人が多かったから、しばらくは私も、「内容はそうだが形式は」と言いそうになって、いやそれは違う、などと思い返したことがあったが、物語内容と語りの形式が別個に存在するのは当然のことで、そういう議論ならジェラール・ジュネットやウェイン・ブースがきっちりやっている。
 してみると、ソンタグというのは一体何者だったのだろう。といえば、米国最後の文藝評論家と言われるのも当然で、日本であれ米国であれ、文藝評論というのは、大した内容もないことをいかにも深淵そうに見せかける技術のことだからである。

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永畑道子『花を投げた女たち』を読む。波多野春房(烏峰)について少し情報は分かったが、ここでは明治11年生まれになっている。18年というのはやはり若すぎるだろう。とはいえ、永畑は、「烏峰」としての活動については何も書いていない。波多野静枝という未亡人に、飛騨高山で会って話を聞いたらしく、静枝提供の秋子の写真もあるが、肝心の、春房の没年が分からない。