昨日(11日)は七年ぶりくらいに比較文学会へ行ってきた。千葉大の加藤隆という教授が、恋愛輸入品説の発表をするというので、要約を見たら、私が輸入説論者になっているので、メールを出して、違いますよと言ったのだが、どうも私の本をちゃんと読んでいないようだった。メールのやりとりはあちらから途切れた。
で、行って聞いてみたら、専門が神学の人なのでそっちからのアプローチはあるのだが、全体としては私が15年間言ってきたことをなぞっているだけで、先行研究を碌に知らないようなので、その旨コメントして、初対面の堀啓子さんからお菓子を貰って帰ってきた。
加藤氏は99年に千葉大在職のまま東大比較の博士課程へ入ったのだが、何をしていたのか分からない。2002年には駒場で恋愛研究シンポジウムがあったのだが、訊いたらそれも出ていないらしい。どうも比較文学会というのは先行研究に関して甘いところがあって、結構安易によそから入ってきてこういうことをする人がいる。ところで加藤氏は、神への愛が一流で、隣人への愛は二流なんです、などと言っていたが、それに対して「感動しました」と言っていた女性がいたが、あれは何なんだろう。
またこの人が妙な間違いの多い人で、予告では自著『武器としての社会類型論』を『…比較文明論』と書いているから、私は検索して、あれないぞ、と思ったし、レジュメでは『四十八歳の抵抗』を「反抗」、「近代日本における「愛」の虚偽」を「虚像」としていて口頭でも間違え続けていた。この間違え方はヨコタ村上と似ている。
そういえば私は2002年に千葉大で二回講義しているから、何か聞いて勘違いしたのであろうか。またこの人、「好きになったから結婚する」なんて、とんでもない、恋愛は結婚とは別にするもんです、とくりかえし言っていたが、日本人だけがそんなことを言う、とおかしなことを言い、最近では西洋でもそうなってきたかな、などと言っていたが、フランスのことでも言っているのであろうか。とにかくピューリタンのアメリカなんか西洋とは認めていないような口ぶりであったが、みな「この人は独身なのか、それとも親の決めた相手と結婚したのか」と思っていたはずである。私は恋愛結婚至上主義は批判しているが、恋愛結婚がとんでもないとは言っていない。
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朱川湊人の「昨日公園」は、過去へタイムリープして変えようとしても似たようなことがまた起こるという話で、結末がいい。ところでここに、小学生男子が、好きな女の子がいても友達に知られないようにする、というところがあった。これまでにもそういう小説類は見かけたが、昔はそうだったんだろうなと思っていた。だが朱川は私と同学年なので、そうかと思った。私の小学生時分は、好きな女の子が誰かということは、それとなく知られるようにするのが一種の楽しみであった。純文学ではないから類型に従ったのか、それとも朱川は大阪だからか、単なる個人差か。