星光子さん降板の真相

 『ウルトラマンA』の南夕子だった星光子さんが、娘さんのブログで、『A』の途中降板は突然の出来事だったと明かしている。ご自身のブログにも転載されている。37年目の真実というところか。2004年に『A』のDVDが出た時、附録に星さんも登場して「今明かされる降板の真相」とか書いてあって、しかし実際には書いてなくて怒ったことがあったが…。
 視聴率低迷による路線変更ということだが、とりあえず夕子がいなくなる! とやればその回は視聴率が稼げるとか、そういう場当たり的なあれだったかもしれない。あるいはこのままで行くと最終回をどうするか、といった問題もあったわけだし。
 私も今でこそ星さんのファンだが、子供の頃は特にその美しさには気づかずにいた気がする。ただあの時は円谷一で、その一年後に40歳で死ぬんだが、『ファンタスティックコレクション』の「ミラーマン」の巻で、酒井敏夫が、延々と円谷一人間性を非難して、「ミラーマン」は悲しい作品である、と書いていたのがあった。市川森一もシナリオから降りているし、いろいろあったんだろうなあ。
 私は純朴な子供だったから、当時、こういう番組を作る人は、好きで作っているのだと素朴に信じていたが、後になって、子供番組だから嫌々やっていた人も多かった、というような話を聞いてショックを受けたっけ。もちろん、今も続くシリーズになり、特撮が市民権を得たから、今になって誇りを抱ける人もいるわけだ。
 今の若い人は知らないだろうが、当時は「アニメ」だの「特撮」だのという言葉は、ないに等しかった。大人たちはこういうものをひっくるめて「漫画」と呼んでいたのだ。それにまつわる悲しい思い出はここ。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070116
 しかし今だって、一般俳優として出世した篠田三郎は出演しないとか、そういうことはあるわけだ。だがあと30年たったら、もう黒部、森次、団といった人たちが出演することもなくなるわけだなあ。
 もしまた「ウルトラ」を作るなら、星さんへの罪滅ぼしに、女が変身するウルトラにしてほしいよ。ウルトラマンレディー…ん?
(「降板」という野球用語を使うのは不本意だが…)

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ああそうか、マクバーニーの「春琴」再演していたのか。平野啓一郎が夫人連れで観に行ったそうだが、あんなトップモデルが一緒では、観客の目がそちらに向いて困るのでは…。
 もっとも、知っていても私は行かなかっただろう。喫煙者を寒空の下へ追い出すからで、かつてはそういう不快感を堪えつつ行っていたのだが、飯がまずいと食が細るように、もう演劇に行く気力を失っている。

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サンデー毎日』の書評欄のトップは池内紀先生で、たばこの歴史に関する本と、登場人物がパイプを吹かす外国小説の紹介である。池内先生は40過ぎて「禁煙」したと書いているが「断煙」のことだろう。
 まあ一種のたばこ礼賛なのだが、左側の「見出し」には、「イップクの嗜好も過ぎたるは…」とある。池内先生はそんなこと、書いていないのだ。著者が書いてもいないことを見出しにするのは、前に『諸君!』が宮崎哲弥の原稿に対してやったのと同じ。
 これを見て、毎日新聞をとるのをやめることにした。私が毎日をとり始めたのは三年前で、ほかに比べて禁煙ファシスト度が低いと言われたからなのだが、その後どんどんひどくなって、今ではほかよりひどいくらいだ。反禁煙派の岩見隆夫も、今ではたばこに関しては新聞紙上では沈黙させられてしまった。
 そのあとどうするか考え中だが、妻は新聞などほとんど読まないし、どうせ私の本の書評なんか載らないし、新聞一切やめようかと思っている。

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WPの田中貴子の項目で、丸谷才一の『輝く日の宮』の大河内篤子のモデルは田中だと私が書いたのを引いたのを田中自身が削除して、私の妄想だ、丸谷は私のことなんか知らないと文句を言っている。なんか佐伯さんも同じように、丸谷とは面識がないとか言って否定していたのだが、別に面識がなくたって、著作があって人から話を聞けばモデルにはできるので、なぜこの二人がそういうことを言うのか分からない。しかも田中はサントリー学藝賞を受賞していて、あれは山崎正和先生が実質上の元締で、山崎先生と丸谷さんは親しいのだから、別におかしくはない。
 それに、大河内篤子というのは、読めば分かるけれど、珍説を展開するヒロインに対して、正統的な国文学の立場から異論を唱える人物で、別に不名誉ではないと思うのだがねえ。
 でもそうやっていちいちいきり立つ田中さんと、何があろうと優雅な黙殺をする佐伯さんとの対比は、ますますモデル説の裏づけとなるのである。

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そろそろ「学者的ただ働き」もやめねばなるまいと思っている。学会費とか、学会誌の論文とか、学会発表とか、原稿料は出ないわけだから、若い人は就職や出世、また教授連は、組織内での名誉を求めてやっているわけで、私にはそんなメリットはないのだからねえ。