わが心の強くて自殺せぬに非ず

 「わが心のよくて殺さぬには非ず」と親鸞が言ったのは、私見では別に深遠なことを言ったのではなくて、素質のない人間には殺人はできないということに過ぎない。もちろん戦争とか異常な状況は別として、日常的なあれこれから人を殺す人というのは、元来そういう素質を持っていたか、生育過程でそういう素質が身についたかである。たとえば私が、にっくきあいつを殺してやろうと思っても、できないだろう。それは私が善人だからではなくて、そういう素質がないからである。
 自殺もまた然りで、そういう素質のない人には、よほどのことがない限り自殺はできない。よって、自殺する人は心が弱いとかそういうことはなくて、自殺しない人はそういう素質がなかっただけなのである。
 ところで千葉俊二先生は茂木健一郎の「偶有性」という概念が、とか書いていたけれど、いったいその概念はどこが新しいのかまるで分からぬ。クオリアだってそうだが、サンタクロースを思い浮かべられるのはクオリアの働きだって、そりゃ違うだろう。サンタクロースの絵とかを見ているから思い浮かべられるんであって、じゃあストレプトコッカスミュータンス菌を思い浮かべることができるかね。
 呉智英さんが未だに仇討ち制度なんて言っているのは困ったもので、最近呉さんは左翼回帰しているような気がする。だって、国家が人を殺すのはいかん、って前提を認めているんだもの。
 (小谷野敦