剣か刀か

 坪内祐三が『文藝春秋』六月号で、映画「靖国」について書いている。映画会社からコメントを求められて、放置しておいたらファックスが来て、「日本人でもここまで深く靖国を考えた人はいません」とあり、坪内は、私は『靖国』という本を書いているのだが、それを知ってそう言うのか、と返事したら、それは知りませんでしたと返事が来たという。むーん、そういうことは、私にもないではない。とはいえ私ならコメント料ほしさに適当なことを言うだろう。ああお金持ちツボちゃん、である。
 ところでタイトルは「映画『靖国』が隠していること」なのだが、正確に言えば、別に隠してはいない。単に靖国神社御神体は「日本刀」だと映画で言っているのを、坪内が、剣である、と言っている程度で、坪内はこれは悪質な捏造だと言うのだが、まあ確かに凶器である日本刀を御神体とした、靖国神社は戦争のための神社だ、というイメージ操作であるのは分かる。
 しかし、剣といってもこれが、三種の神器の一だという。靖国神社御神体は、そのうちの二つ、神剣と神鏡だという。しかしまさか本物ではなくてレプリカである。しかし坪内の文章を読んでいると、三種の神器の本物のうち二つが靖国神社にあるかのように読めて、どうもおかしい。といっても本物の天叢雲剣は壇ノ浦に沈んでいるわけだが。
 となると、坪内は例によって触れないのだが、靖国神社天皇と深い関係があるということになる。私は坪内の『靖国』を批判して、なぜ天皇制について論じないのか、と書いたことがあるが、ここでも同じだ。
 それに第一、日本人というのは刀を崇めてハラキリするような人種だというイメージは、何も外国人が捏造したわけではない。乃木希典を美化する者たちや三島由紀夫が増幅して広めたもので、それに関しては日本人にもずいぶん責任があるのだ。
 まあ、最後は、「靖国」はぜひ上映すべきだ、となっているのだが、私にはいずれにせよ大して興味はない。
 実は、長野での聖火マラソンを妨害された萩本欽一が、「何も欽ちゃんにやらなくてもいいじゃない。ハッピーに終わらせたいじゃない」と発言していたのを、最近めったにニュースを見ないのにふと見てしまい、お笑い藝人だからチベットで何が起こっていても知らないよというその態度に、私は不快感を覚えていて、チベット独立派の人々は全然ハッピーじゃないのだがな、という、まあそちらの方が気になっているのである。