植草一秀、分からん

植草一秀の『知られざる真実』を入手。アマゾンのレビューでは既に8人が、植草の無罪を信じてエールを送っている。しかし、一冊買うのはかなりムダなのは確かで、260余ページのうち200ページ程度は、ただの社会評論だし、竹中平蔵がりそなとどうしたとかあるけれど、別に目新しいことが書いてあるわけではないし、しまりもない。小泉改革批判と、誰も反対しないようなきれいごとが並んでいるだけ。あと植草の自伝的な部分も少しあるが、面白くないし、何よりこの人の人文系の教養の貧しさが、哀れにさえ思える。占星術に凝ってるんだから、これじゃあその辺の…。これなら同じ牢獄経験者でも、佐藤優のほうがずっと上だわ。経済学者になった理由もいかにも凡庸。
 植草は、いじめ問題に触れて、想像力が欠如しているのだ、と言う。またしてもこの種の嘘。いじめる奴は、こうすれば相手が嫌がるとか、泣くとかいうことを存分に知っているのだ。相手の痛みが分からないからいじめるのではなくて、こうすれば痛いと分かっているからいじめるに決まっているではないか。いじめる奴に欠如しているのは、「善」なのである。
 で、肝心の痴漢「冤罪」についての弁明は、最後の「巻末資料 真実」。さて、説得されたかといえば、うーん。とにかく、ここまで追い詰められたのだから、植草はあえて真実をすべてさらけ出して書くはずのものだ。しかし、そういう感じがしない。あまり関係ないが、最後のプロフィールに「名古屋商科大学教授」とあるが、これは「客員教授」の間違いだろう。世間では客員教授というのを「教授」の一種のように思っている人が多いが、端的に言って全然違う。客員教授というのは、非常勤講師に与えられた称号である。真実を語ろうという本で、こういう間違いだか意図的間違いだかをやってはいかん。
 小泉政権の経済政策を批判する植草がはめられた、と主張する人がいる。しかし、小泉政治を批判する人などいくらもいる。それに、その種のことで警察が「痴漢」の類の罪を無から三回も捏造するというのが、どうにも信じがたい。
 植草は、2006年の事件から記述を始めて、2004年の事件、1998年の事件と遡る。こういうことは、時系列に沿って書いてくれたほうがいいんだが。そこで98年のところから読む。私には、警官の言うとおりに自供する植草の行動が、もし冤罪であれば、理解できない。恫喝して自供させ、罪に落とすというのが冤罪発生の常套であることくらい、知らないはずがない。その時、相談できる弁護士がいたら、というが、それから検察庁へ出頭するまで数ヶ月ある。相談すればいいではないか。それに、検察へ行って改めて否認しようとしたら、女性検事に叱責されて諦めたという。これも理解できない。東大卒の学者なのだから、日本国憲法刑事訴訟法の基礎くらい知らないはずはない。「自白は信用できない」のは冤罪事件の常識ではないか。もっともこの当時は、マスコミに漏れることを恐れたとも考えられるが、本当にまったくの冤罪なら、私には理解できない行動だ。それから、その女性検事の名前も書いてほしかった。今さら検察に媚びる必要があるか?
 2004年の事件の時は、子供の誕生日プレゼントを買うために駅ビルの書店に立ち寄って、エスカレーターで覗きをしたことにされている。しかし、そのプレゼントは「日本の歴史についての学習漫画シリーズ本の10冊程度」とある。そんなものを、講演の帰りに駅ビルで探すか。それに、書店は五階である。なぜエレベーターを使わないのか。
 ついで、品川駅で警官に呼び止められる直前、「エスカレーター上で、私はへその前で組んだ両手の中にハンカチを持って立っていた。ハンカチで手をぬぐいながらエスカレーター上に普通に立っていた」とある。なぜハンカチで手を拭っていたかの説明がない。手に汗をかく体質だとか言っているそうだが、それならそうとここで書くべきで、この本以外にあまり情報のない人には、なぜハンカチを持っているのかまるで分からない。編集者だって、ここはちゃんと説明を、と言うべきではないか。現にこのハンカチが、「せんずりをしていた」と疑われる一因なのだから。それと、警官が「警察だ」と言った時、なぜ警察手帖の提示を求めないのだろう。求めたのだが書かなかったのか。
 もう一つ、2004年の事件は、植草が「N氏」に電話を掛けることにこだわったことで起きたと強調されている。N氏から携帯に着信があったが出られず、以前、コールバックをしなかったため叱責されたことがあったから気にしていたという。ところが、このN氏が何者であり、なぜ植草がそれほど気を遣わなければならないのか、まるで分からない。大学の恩師とかであるならそう書けばよい。結果的に、N氏との関係は、痴漢事件以上に、植草が怪しいものを持っているのではないかと思わせてしまう。
 結局、三つの事件がすべて冤罪で、しかも警察が国家の密命を帯びて仕掛けた、という感触がないのだよなあ。それに、現在の植草はなんとかいう会社の代表取締役で、支援者も多い。その辺が、どうも分かりにくい。私の知人も、猥褻関係の事件で大学を首になったが、細々と翻訳なんかして暮らしているし。
 それと「はてなダイアリー」の「植草一秀を含む日記」を見ると、どういうわけか、ほとんどない。その代わりに、ライヴドアが流す、実は冤罪だったという文章ばかりが出てくる。これも怪しい。

 (小谷野敦