勘太夫の引退

 朝青龍、引退の危機で角界は大騒動、また元横綱琴桜の死去とニュースが続く中、三役格行司の式守勘太夫が、17日、65歳の誕生日を迎え、ひっそりと引退した。
 昭和30年6月、今から52年前に13歳で伊勢ヶ浜部屋に入門、当時の親方は横綱の照国、先代の大関清国はまだ初土俵も踏んでいなかった。
 行司は、同年で二人か三人、最近では一人か二人になっているし、だから五人のうち四人くらいの割合で、立行司、つまり式守伊之助木村庄之助になる。年功序列かと思いきや、やはり実力社会でもあって、勘太夫は伊之助にもならずに引退した。伊勢ヶ浜部屋は、昨年、後継者がなくて消滅、最後は桐山部屋所属だった。

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先週の毎日新聞に、ブレット・ウォーカー『蝦夷地の征服』(秋月俊幸訳、北大出版会)の山内昌之による書評が出ていた。最後に、訳文を讃えつつ、「伊井直正(正しくは井伊直政)、佐竹義喜(義宣)、浅野行長(幸長ーよしなが)などの転記ミスが間々見られるのは惜しまれる」とある。こういう間違いはあまり書評に書かないもので、それを書いたというのはけっこう多かったのだろう。それに、「浅野行長」としたのは、原著に「Yukinaga」と間違えて書いてあったからに違いないのだ。
 それに書評を読むと、この程度のことは日本の歴史家が既に明らかにしていることで、単にそれをフーコーブルデューで味つけしているだけである。アメリカ人の日本学者が書く本には、こういうものが多い。そういうものまで翻訳するのが日本人の植民地根性だと思う。もっとも秋月先生には、間宮林蔵を書いたときお世話になった。
 (小谷野敦