知的レベルの劣化?

週刊朝日に、四方田さんの「先生とわたし」の長薗安浩による書評が載っていた。いやあ各紙誌絶賛、これなら小林秀雄賞もとれる!
 長薗は最後に、今でもこういう師弟関係は成り立つのだろうか、それとも学生の知的レベルの劣化でそれもならないのか、と書いている。知的レベルの劣化、って日本語が何か変で、普通に「低下」と書けばいいのだが、まあそれはいい。
 今ではも何も、これは東大だから成り立ったものである。京大や早慶でも成り立つかもしれないが、マーチレベルでこんな師弟関係が成り立つことは、平野謙中山和子の昔ならいざ知らず、どのみちありえまい。『先生とわたし』は青山光二の『われらが風狂の師』に似ているが、こんな昔の話でさえ、ヤクザ小説の書き手だった青山は東大卒だ。まあ明治だって陣野俊史くらいの人なら何か書けるだろうし、陣野さんくらいなら、教えた教師もさぞ嬉しかったろうと思う。もっとも陣野さんだって学部は早稲田だし、和光大の院へ行った(あれ? 成城? 和光と聞いた記憶が…)大月隆寛だって早稲田、立教の院へ行った藤井淑禎先生も、学部は慶応。
 ところで『先生とわたし』の書評を見るたびに、私は内心でくすくす笑っている。みんな、妙に肩肘張って、何か高尚なことを言おうとするんだもの。本当は、あれはゴシップ的におもしろいのだ。由良先生の酒乱ぶりとか変人ぶりが、単純におもしろいから成り立っているのだ。あれがなければ、たとえば高橋康也先生の思い出を誰かが書いても、そう面白くはならないだろう。なのに、みんな、そうでないふりをするんだもの。
 酒乱の東大教授の話がおもしろかった、って言えばいいのに。はっはっは。酒乱ではないけれど、私も面白い教授はたくさん知っているよ。まだ生きているから書けないけど。
小谷野敦

文学界新人賞の選考委員が代わって、松浦ジュテルだけ残っているのが不快だが、松浦理英子が入ったのはよろし。川上弘美が抜けたので、川上の選考委員数は4となって、ダントツ一位の井上ひさしに継ぐ地位は、なんと5の小川洋子である。まあ一つは、とっても出世できない太宰治賞だが…。うーん、やや美人で、芦屋マダムで、フェミじゃなくて、というあたりが出世の秘訣か。あとこれで島田雅彦はまともな選考委員はゼロ。まあ法政大で、「ドストエフスキーって誰なんですか?」どころか、ドストエフスキーが長くて発音できないような、ポルノグラフィーをポルノグラフィティと書くような学生相手にがんばってください。(後者は多数実在する)