金井美恵子先生の『一冊の本』の連載で触れられていて、すでに一度述べていたので、『日々のあれこれ 目白雑録4』に入っている話なのだが、ある文学賞の選考会で、候補作の中に、主人公が戦時中、戦争が終わったらヘンリー・ミラーの『セクサス』を美しい日本語に移してみたい、と思うところがあり、『セクサス』が出たのは戦後の1949年なのでおかしいのではないかと金井先生が言うと、元編集者だった選考委員が、それは校閲の責任ですね、と言う、とある。さて金井先生が選考委員をしている賞といえば泉鏡花賞であり、元編集者の選考委員というと、村松友視嵐山光三郎と二人いるからどちらだか分からないのだが、その小説とは何か、と検索したらわりあいすぐ分かった。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704553.html
 つまり浅田次郎の『終わらざる夏』という、ん? 加賀乙彦の『帰らざる夏』みたいな題の小説で、姜尚中先生はかわいそうにその間違っているところを「朝日新聞」の書評で引用してしまったというオチ。それを朝日新聞出版のPR誌で早速指摘する金井先生はやっぱりかっこいいのである。
 とはいえそのあと、森村泰昌の文章で、オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』のおかげで「ヘップサンダル」がはやったというのに対して、ヘップサンダルは『麗しのサブリナ』のほうではないかとし、「森村の文章の誤ちが放置されているのは、校閲の責任なのだろうか?」と結ばれていて、それは「過ち」のことであろうか、とまた余計なことを書く私であった。
小谷野敦