なぜ片仮名書きする?

 前から気になっていたのだが、なぜ「モテない」と片仮名書きするのだろう。私は片仮名書きしたことはない。なっていたとしたら、文責・取材者である。どうも片仮名書きだと、嘲弄しているような、頭が悪いような印象を受ける。
 さて、渡部伸の『中年童貞』を買った。私の本が八冊も参考文献にあがっていて、ありがたいことである。ヨコタ村上のもあるが。
 著者の言っていることの根幹、つまり恋愛は誰にでもできるものではない、というのは私と同じだ。もっとも、それを「資本主義」に結びつけるのは、どうか。もう少しロマンティック・ラブ・イデオロギーの構成要素は複雑だと思う。民主主義とか平等思想とか、「愛のないセックスはいけない」思想とか。
 ところでこの本には、著者の学歴が書いていない。大卒であることは文中の記述から分かるのだが、大学名がない。もしかすると「渡部伸」というのは筆名で、半分匿名の方なのだろうか。もう一つ、奥付には「構成 熊川哲哉」とある。熊川テツヤ…? どこかで聞いたような名だが、字が違う。しかし、あとがきに記された編集者の名、協力者の名の中に、この熊川テツヤは出てこない。調べたら、全国童貞連合の副会長だ。まあ、執筆協力者ということか。
 しかし、なぜ大学名を隠すのか。童貞であることは隠さず、大学名を隠す。そこに、この本のある不思議さがある。
 それがどうしても気になるのは「終章 初めてのデート」があるからだ。ここで著者は、25歳の時に、五年間片思いをしていた女とデートの約束をとりつけて失敗した時のことを書いている。これが、びっくり仰天の文章である。
 25歳の五年前だから、著者は大学在学中、友人の学園祭でその女に紹介され、一目惚れしたという。人柄にも魅せられたという。それから、彼女を思ってオナニーを繰り返したという。執拗に「彼女を思ってオナニー」が出てくる。
 うーむ・・・。
 当人が読むことを考えたら、これは書かんぞ、ふつう。私だって、それは書いたことがない。
 さらに「まだ見ぬ彼女を」とある。え? と思ってよく見ると、身体をまだ見ていないというのだ。それも、まあ、なんというか、特異な表現である。
 大学を卒業して就職した著者は、それもやめて、バンド活動を始めたという。いかんなあ。大学出ていてバンドって、それはダメ人間への道だ。まあ、それはよい。そのうち、リーダーである友人が、その女をドラマーにしたという。はて、この女は著者と同年輩のはずだが、いったい何をしているのだろう。あとの方で「バイト」と出てくるから、フリーターらしい。
 さらに別の友人は、その女が前につきあっていた男が巨根の持ち主だったと耳打ちする。あろうことか、著者はそれが気になって、女に直接、それを訊いたという。「彼女は優雅に笑って答えない」。すまんが、私には、何か、アレな女の像が浮かび上がってきて、ちっとも優雅に見えないのだ。さらに著者は、彼女は魅力的だからつきあった男も多いだろうが、せめて10人程度であってほしい、と書いている。
 二十代半ばで十人…。それは・・・。アレではないのか。
 そして著者は、ようやく、女と二人で会う約束をとりつけ、西日暮里駅で会うことにする。著者は、その日のうちに、セックスする気でいるのだ。西日暮里にはラブホテルが多い、とある。
 しかし、現れた女は、バイト先で嫌なことがあったとかで機嫌が悪い。そこで著者は、恋愛マニュアル本の教えに従って、お尻に軽く触ったという。三度くらい触ったという。女は怒る。そこで困った著者は「結婚を前提におつきあいしてください!」と言い、女は「ありえない」と答え、著者は号泣する。
 むちゃくちゃである。私が言うのも何だが、結婚を前提につきあいたいと思っているなら、初めてのデートでセックスしようと思わないでほしい。お尻に触ったりしないでほしい。
 むろん、著者はこのエピソード全体を、若かった自分の愚かさを示すために書いているのだろう。もっとも、そう思えない節も多々あるのだが…。
 要するに、「低学歴臭」が漂っているのだ。日東駒専臭といおうか、大東亜帝国臭といおうか。
 むろん、低学歴者には低学歴者なりのもてなさというのがあるし、きっと低学歴社会では、初めてのデートでセックスに持ち込むというのは、普通のことなのだろう(?)。
 ところで著者は、完全童貞、つまりへルスとかに行ったこともないのだろうか? 私としては、ソープランドは童貞には無理だと思うので、まずヘルスから始めるのがいいと、一般的には思う。
 (小谷野敦