蔑称としての「L文学」

 あれは私がまだ明治大学で教えていた頃だが、斎藤美奈子が「L文学」というのを、「J文学」に倣って冗談で雑誌で特集したら妙に評判が良かったので『L文学読本』というのを出したことがあった。まあちゃんと読んではいないのだが、女性作家によるフェミニズムっぽい文学ということで、リブとかリヴとかレディーとかのLだったと記憶する。
 もっともさすがにこの「L文学」は、国鉄がJRに変った時、「国電」の代わりとして正式に持ち出された呼称「E電」よりはまし、という程度で定着はしなかったのだが、私はこのちょっと古い革袋に新しい酒を盛って、蔑称としてのL文学を提唱したいのである。
 このL文学は、おおむねは女性作家によって書かれる。ただそのうち男性作家も参入してくるだろうという気もする。だいたい二十代から三十代前半の女二、三人が主人公で、筋らしい筋、華々しい展開などはなく、会社とかそんなところが舞台で、恋愛っぽいこともあったりする。要するに津村記久子の「ポトスライムの舟」とか、綿矢りさの最近の作とか、青山七恵の長編とか、なのだが、私が注目しているのは、片仮名語の頻出である。
 片仮名語といっても、「アイデンティティー」とかの抽象語ではなくて、まさに「ポトスライム」のような具体物のことで、オフィス用品、台所用品、ガーデニングとか、食事とか、そういったものの具体物名で、いちばん目立つのは、不断使っているけれど名称は知られていないもの―まあオープンシェルフとかユニットバスとかパーティションとか、むやみと英語を使うものとかであり、タブレットとかジョイントとかソケットとか、そういう類の語のことである。
 それが何で違和感があるかというと、語り手が、まるでデパートのOA売り場の店員みたいに、すらすらっとそういうものの名前を書き連ねるからである。
 実はこういうのはアメリカの小説でも1960年代頃からあったし、日本ではかつて、着物とか調度とかについてこまごまと記すというのが、有吉佐和子あたりの手法としてあったのである。