「学者学」という奇妙な領域 

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 1988年に「NICS」が「NIES」に変わったというのも、二十年近く前のことだし、若い人は知らないだろう。前者はNewly Industrializing Countriesの略で、二十世紀後半に経済成長を遂げた香港、台湾、韓国、シンガポールをさしたものだが、香港や台湾は「国」といえるかどうか疑わしいというので、CountriesをEconomiesに変えたということである。1993年に翻訳が出たエズラ・ヴォーゲルの『アジア四小龍』(中公新書)はこの四地域を論じて、その成功の理由の一つとして、マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論じたプロテスタンティズムの代わりに、儒教がその役割を果した、とした。もっともそうなると、より大きな龍である日本が、十九世紀終りから目覚しい経済成長を遂げたのも儒教のおかげか、ということになり、この主張は眉唾ものとされている。実際をいえば、地域が小さくまとまっていること、ユーラシア大陸の東岸であることなどが、成長の要因だというのが妥当なところだろう。
 さて、ヴェーバーのこの不思議に有名な論文は、最近の学生の間では、略して「プロ倫」などと呼ばれている。私が学生のころはそういう略称はなかったが、便利なので以下、このあまり上品でない略称を使うことにする。私がこの本を初めて読んだのは、大学一年の時、一般教養の折原浩助教授による授業で、同氏の『デュルケームウェーバー』を教科書に、その方法論が講じられた際で、デュルケームの『自殺論』は、論証も鮮やかで読み応えがあった。当時はまだ同書は文庫版では出ていなかったが、その後中公文庫に入った。ところが、岩波文庫で読んだ「プロ倫」は、実に分かりにくかった。結論はよく分かるのだが、肝心の論証が分かりにくい。同級生も、どうもおかしいと言っていた。その後年月を経て、学問の厳密な方法について学んでから改めて読むと、穴だらけで、とうてい学術論文とは思えず、まるで「文藝評論」のようにしか見えないのだ。だいたいその結論にしてからが、学問的に論証できる類のものとは思えないし、いわば「縮み志向の日本人」などの「日本人論」や「比較文化論」によく似て、都合のいい材料だけ揃えてそれらしく論述しているとしか思えない。何より、ヴェーバーがこれを書いていた頃には、既に、プロテスタントとは何の関係もない日本が、アジアで経済成長を遂げていたわけだが、ヴェーバーはその点について、何の説明もしていない。
 ところが、当時は薄いのに二冊本の、梶山力・大塚久雄訳だったのが、1989年に大塚の単独訳の一冊本になり、それから四半世紀、いよいよ「古典」扱いされるようになっている。
 2003年、羽入辰郎の『マックス・ヴェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房)が刊行されて話題を呼び、山本七平賞を受賞した。これは東大倫理学の博士論文である。なかなか面白い本で、書きぶりは梅原猛風、「プロ倫」の中で、ヴェーバーが、ルター訳聖書と、フランクリン自伝を用いた箇所でごまかしをやっていると、文献学的に示している。その冒頭で羽入は、ヴェーバーのような「権威」に逆らうのが恐ろしくて、なかなか書けなかった、と書いている。私のようなはずれ者の文学研究者には、 よく分からない話だ。もっともかつて、志賀直哉のような偶像を批判するとたいへんな攻撃を受ける、と書いていた人がいた。
 だが果たして、羽入に対して激しい攻撃が仕掛けられた。それが、私が習った折原先生である。『ヴェーバー学のすすめ』(2003)、『学問の未来−−ヴェーバー学における末人跳梁批判』(2005)、『大衆化する大学院−−一個別事例にみる研究指導と学位認定』(2007)と、遂には個人攻撃とも言うべき領域に至っている。
 羽入のヴェーバー批判が、ヴェーバー全体への批判になっていない、と折原は言っているが、羽入は『VOICE』2004年5月号で谷沢永一と対談して、その意図を明瞭に語っている。要するにヴェーバー偶像崇拝の批判なのである。しかし折原は自らどんどんその偶像崇拝ぶりをあらわにしており、もはや「ヴェーバー天皇陛下」である。折原は「不敬である」と怒っているとしか思えないのである。たとえば折原は平然と「ヴェーバー学」などと言っているが、ヴェーバーは学者である。自然科学の世界で、「ニュートン学」だの「ラヴォワジェ学」だのというものはないし、文学研究の世界でも、「ノースロップ・フライ学」などというものはない。折原はこれまで、ひたすらヴェーバーの方法ばかりを論じてきて、その方法を何か別の対象に適用しようとはせず、『マックス・ヴェーバー基礎研究序説』などという冗談のような本を出してきた。当時、中沢事件で怒っていた西部先生が、どうせそのうち「ヴェーバー基礎根本研究序説序章」とかいう本を出すんだろうと痛罵していた。
 羽入はヴェーバーを「詐欺師」などと批判しているが、むしろこのような、西洋の学者に心酔して学問の本道を見失ってしまう折原のような人こそが批判されているのである。『ヴェーバー学のすすめ』では、「デヴュー」などという初歩的な誤記があって、西洋の学問研究をする人が、フランス語のdebutすら知らないのかと呆れた。
 過去の学者の研究は、学説史の一環としてならありうるし、本居宣長研究や、風巻景次郎研究というのもありうるが、あくまでそれは学説史である。学者を研究対象とする「学者学」というものに、私はかねてから疑念を抱いてきた。民俗学の世界には、柳田、折口、南方熊楠などを研究対象とするものが以前からある。南方の場合、未公開資料があるからまだ良かろうが、柳田、折口研究というのは、「民俗学者学」であって、おかしいとしか思えない。学問というのは、先行研究のどこが正しくてどこが違っているかを明らかにし、過去の説を棄却しつつ進んでいくものだろう。哲学などでは、研究対象がないから、プラトン研究などになるのはやむをえないが、「社会学」を名乗りながら「社会学者学」をやっていたのでは仕方がない。これでは、「過去十年間、文学作品が論じられたことはない」と言われた、かつてのイェール学派みたいなものだ。
 近代の日本の学問は、ひたすら西洋の学者について学ぶことをしてきて、そのことはさんざん批判されているのに、一向にその気配がやむことはない。後世は、この時代を、西洋学者の訓詁注釈、スコラ学の時代として位置づけるだろう。
 (小谷野敦