よく「十八歳未満と知りながら性行為をした」というので男が逮捕される、というようなニュースが出る。私は、日本の法律では、強姦罪が示す性交合意年齢が十三歳、女子の結婚年齢が十六歳なのに、十七歳の女子とセックスして刑事上の罪に問われるのはおかしい、という淫行条例反対論はもっともだと思う。
毎日新聞の七日の取材記事に、「サポ」と呼ばれるらしい少女売春のものがあった。マンガ喫茶に籠って携帯から出会い系サイトに「十八歳」として登録し、相手の男と会う少女の話だが、最後に、ホテルに入って風呂に湯を入れながら、「ウチ、17歳だよ」と言うのだとある。なお「ウチ」といっても大阪の話ではなく、今は東京でも少女は自分のことを「ウチ」と言う。
さあ、これは引き返せない。たとえ私でも、十七歳、それはいかん、やめよう、とは言えないだろう。世の中には、ここまで来たら引き返せない、というラインがあるものだ。ま、「あたし、エイズだよ」と言われたら引き返すかもしれない。
以前も、風俗店で働いていた女子高生が、教師が客としてやってきたのを警察に通報したというような悪質な話があったが、この少女は「客を狩ってやりたい。警察に突き出せば、ウチみたいな寂しい子が減るし」と言っている。意味がとりにくいが、客になる男がいなければ自分もこんなことをしないという意味だろうか。なんだか身勝手な発想である。現にばれなければ金を貰っているのだから、ずうずうしいとさえ言える。
これは「子どもの空間」という連載ルポだが、十七にもなった女を「子ども」扱いして、寂しいからこんなことをするのだ、みたいな扱いはどうも洒落臭い。
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今回は芥川賞候補にならなかった西村賢太が『新潮』二月号の随筆で、地方新聞の新人記者に惚れて失恋した過程を描いていた。どこまで本当か分からないが、この短い文章が、切通理作の本などより感動的なのはなぜだろう、ってそれは西村が独身だからに決まっている。実際、私もよく、美人の編集者とかに失恋するので、おお同志よ、と思うのだが、私と西村の作を並べて川村湊が、中卒の西村と東大院卒の小谷野が同じようなことを書くのはふしぎだ云々と書いていた。しかし東大の院卒でも、失恋ばかし、という男は確実にいる。
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岡本の家で『痴人の愛』は書いていない。あれは北畑にいる頃のもので、その時の住宅を「ナオミの家」と呼んでいるのだ。