音楽には物語がある(4)フニクリ・フニクラ 

 「フニクリ・フニクラ」というイタリアの歌がある。日本語歌詞では、ヴェスヴィオス火山への登山電車ができたので「誰でも登れる」というもので、子供のころは、変な歌だなあと思っていた。だいたい「赤い火を吹くあの山へ」とか「ここは地獄のベスビアス」とか、火山が噴火している最中に登るみたいなのである。
 のち、ヴェスヴィアスの登山鉄道ができた時に鉄道会社が宣伝のために作った曲だと知った。一八八〇年に鉄道会社の依頼でジュゼッペ・トゥルコが作詞、ルイージ・デンツァが作曲したという。だがリヒャルト・シュトラウスはこれを民謡だと思い、八六年に交響的幻想曲「イタリアから」に取り入れたため、デンツァが訴訟を起こして勝訴したという。
 さて一九九七年十二月、NHKの「ときめき夢サウンド 子供のころ聞いた、懐かしい外国の歌」という番組で、イタリアの歌手アル・バーノが出演し、この元歌を歌った時、私は初めてこの歌の歌詞を知ったのだが、同番組にはかねて私の好きだった鮫島有美子(ファンクラブに入っていたこともある)と、佐藤しのぶ、芹洋子が出ていて、みなで並んでバーノを中心に歌った。バーノの向かって右に鮫島、左に佐藤が立っていたのだが、バーノは歌っている最中、ずっと左の佐藤しのぶのほうばかり向いていて、あたかも佐藤とバーノのデュエットのようだったのは、佐藤がバーノの好みだったからとしか思えない奇観だった。
 その時下に出た字幕を見て、私はこれが男の失恋の歌だったと初めて知ったのである。「僕は山の上へ登る。冷たい君の心がもう僕を傷つけることができないように」といった歌詞で、登山電車は確かに出てくるが、実に奇妙な歌だった。最後はその娘と結婚しよう、と言って終わるのではあるが……。「フニクリ・フニクラ」というのは意味のないかけ声らしい。日本では「鬼のパンツ」という替え歌が知られている。
 男の失恋の歌というのは、あまりないか、あってもあまり成功しない。日本に関しては、徳川時代の町人文化が、助六のようなもて男を英雄視して、振られる男は悪役扱いされることが多かったからだが、米国のマッチョ主義でも、振られ男は悪役とされることが多かったからだ、というのは私の博士論文『<男の恋>の文学史』(改訂版、勉誠出版)の主題である。
 清水健太郎の「失恋レストラン」(つのだ☆ひろ作詞作曲)というのがあるが、私にはなぜヒットしたのか分からないくらい不出来な曲で、心にあいた穴に飯をつめこむとか、コミック・ソングにすら思える。長渕剛の「順子」はそれこそ純然たる男の失恋ではあるが、そもそもつきあっていた女がなぜか二年待たなければならないのが嫌でほかの男に行ってしまったというもので、私には失恋というのはもうちょっと純粋に、一度もつきあっていない失恋であってほしいという思いがある。そういう意味では尾藤イサオの「悲しき願い」の「片思いの恋だけはもうたくさんだ」という叫びが最も真実らしい。男の恋に冷淡な近世日本文藝にも、恋人を失った男の狂い舞「保名」というのもある・・・。
 山下達郎の「クリスマス・イブ」など、つきあっているのかいないのか分からないし、そうでないならクリスマス・イブに呼び出してコクろうとか図々しい、という歌になってしまっている。まあ聴き手の自由な想像に任せるということなのだろうが、八〇年代バブル以来、クリスマス・イヴになると、キリスト教とは何の関係もない恋人とのラブホテル行きとかが年中行事化しているのは、何とも奇妙な日本の風景である。