私が『反=文藝評論』に載せ、『村上春樹スタディーズ05』にも再録された村上春樹批判の評論中に、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる「太った美人の少女」の、やたらと主人公にセックスを迫る描写の引用がある。果して英語版でもここはそのまま訳してあるのか、と今日駒場の図書館でアルフレッド・バーンバウムの英訳を見てきた。「31」で女が、「ねえ、精液を呑んでほしくない?」と言うところは訳してあったが、その後、もう一度女が「精液呑んでほしくない?」と言い、「あたしじゃあ興奮しない?」かなんか言って、主人公が、興奮している、勃起しているから、と言って見せる部分は、カットされていた。そりゃあ、そうだろう。こんなところまで訳したら、村上春樹はポルノ作家だと思われるよ。思わない日本の読者が、あまりに変。
川端康成の『雪国』に「この人指し指がいちばんよく君を覚えていたよ」というエロティックなせりふがあることは有名だ。しかし初出「夕景色の鏡」は、冒頭、濡れた女の髪に触った、その指の感触を女に伝えたくて、とあり、それからほどなく「たヾ左手の×××だけが彼女をよく覚へてゐた。島村はその×を不気味なものゝやうに眺めてゐることがあるくらゐだつた。自分の体でありながら、自分とは別の一個の生き物だ。それに彼女がやはらかくねばりついてゐて、自分を遠くの彼女へ引き寄せる」とある。
この直後に「国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなつた」と続く。単行本として改稿した際に、冒頭に据えられた文章の原文である。『伝記 川端康成』で進藤純孝は、この「人差し指」が覚えていたのは、「濡れた髪」だとしているが、そうではあるまい。一見そう見えるが、伏字になっている。恐らく川端は、検閲を警戒して、最初に髪を出しておき、髪のことだと思わせるように細工をしたが、無駄だったということだろう。
世界中で村上春樹が読まれる時、人々は、川端や、ゲイシャ・ガールや『将軍』や『君よ憤怒の河を渉れ』のイメージに引きずられており、日本の女はこんな風に積極的にセックスを迫るものなのだと思って読んでいる者は確実に少なからずいる。日本人が気づいていないだけだ。
しかし最近思うのは、この「太った少女」は、精神を病んでおり、一種の色情狂(ニンフォマニア)なのだろうということで、春樹作品にしばしば現れる、むやみとフェラチオをしたがる女たちは、恐らく春樹自身がどこかで知った、そういう女を原型としているのだろう、ということである。