武藤康史の「理由」

 今度阿木耀子監督で映画化されるという俵万智の小説「トリアングル」が新聞に連載されていたころ、武藤康史がこれを絶賛する文章を文芸雑誌に書いた。毎日切り取ってノートに貼っているという。「トリアングル」は、所詮俵も小説では素人と思わせたもので、確かに武藤には、「フランバーズ屋敷の人々」のようなものを絶賛する傾向はあるが、やはり訝しかった。
 しかしそれには理由があった。安藤美保という人がいた。1967年生まれで、お茶の水女子大で国文学を専攻、大学院に進んでいたが、1991年、旅行中滝つぼに足を滑らせて落ちて死んだ。武藤は慶応の研究会で安藤を知っており、その日記を入手して、1996年から2002年まで『短歌往来』に連載していた。安藤は「心の花」に属して短歌も詠んでおり、死後「水の粒子」としてまとめられた。大学での専門は中世で、慈円九条良経について研究発表をしたという。安藤の短歌は、やはり「心の花」の歌人、俵が、二度、自著でとりあげている。それでか。
 武藤は日記の連載中、周囲からバカにされたという。安藤が好きだったんだろうといわれたという。(『文学界』2003年10月「安藤美保の日記」)武藤はそれを特に否定はしていない。やはり、少しは好きだったのだろう。そして、好きだった人が死んでその日記を入手したら、私もやはりそれを活字化するだろうし、その人の短歌をとりあげてくれた人が書いた小説を、ムリにでも褒めただろう。私は武藤康史を、改めて好きになった。