種は尽きまじ

 恐らくこれからも、次々と新手のバカが現れて、遊女は聖なるものだったとか言い続けるのだろう。『別冊歴史読本 歴史の中の遊女・被差別民』を見つけてそう思った。今のところ、私に批判されているのを知っているのか知らないのか、たぶん知らないのだろうほとんどまだらボケの沖浦和光(79歳)と、もともと頭の悪い朝倉喬司あたりが中心だが、確信犯・田中優子は、吉原はディズニーランドだテーマパークだと、相変わらずの大ボケぶりで、吉原は今でもあります。川崎堀之内も札幌ススキノも神戸福原も岐阜金津園もありますが、それが何か? 佐伯さんはいなくて、ほっとする。
 しかし、大月隆寛から「稀代のバカ」と聞いた大阪外国語大学教授・森栗茂一は、『恋愛の超克』で私が徹底批判して、その後おとなしくなったと思っていたら、相変わらずのバカぶりを発揮している。こんなのが合併で阪大教授になるのかと思うと暗澹たる気分だよなどと、未だに大学に期待しているかのように言うのも愚かだが、ただでさえセックス系バカ学者が一人、あるいは二人(川村邦光)いるのに、困ったものだ。その森栗のバカぶりが如実に現れている文章を引く。

 「セックスレス時代ともいわれる。キャバレーが消えて久しい。ソープランドが繁盛しているとは思えない。盛り場に耽溺し、コミュニケーションを楽しむのは、ホストクラブに入れ込む女性くらいであろうか。元気な女性に対して、男性のほうは、己の内面が傷つかないようなアニメやフィギュアに心を寄せ、その妄想を具現するメイド喫茶に入れ込む。そこには、歌舞や匂いを通じたコミュニケーションなどなく、ひたすら自己の妄想に耽酔(ママ)し、それを消費する姿が見える」
 荷宮和子レベルの、自分の論旨に合わせて現実などまったくみない文章である。キャバレー、銀座にあるぞ。ピンサロもイメクラもキャバクラもデリヘルも韓国出張もソープも繁盛しているぞ。メイド喫茶ではメイドとのコミュニケーションはないのか? これまで、実名の分かった相手に使ったことはないが、森栗よ、二度くらい・・・

  死んでしまえ。

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いま確認のために大月隆寛Wikipediaで見たら、歴博辞職後、日文研客員助教授を経てフリーランスと書いてあった。あのね、客員助教授ってのは称号で、実際は非常勤講師なのよ。三年任期だし、給料もなし。研究会に出たらいくらか出るってだけ。だから客員教授だろうが助教授だろうが、客員ってのは、非常勤講師と同じなの。私が日文研に勤務していたと思っている記述をちらほら見かけるけど、年に一、二回行ってただけよ。
 あ、そういえば前に放送大学で一回録音したとき、最初は「東大非常勤講師」だと思っていたのが、「日文研客員助教授」だと分かったら、ギャラがあがった。これは自治体の講演でもそうで、「講師」「助教授」「教授」の肩書きに応じて上がる。たぶん「作家」とかになると別格なのだろう。